No.1 ケンシロウの強さはインフレか否か?(2004/1/2)
「北斗の拳」の舞台は核戦争後の荒廃しきった世界。主人公は、北斗神拳の伝承者ケンシロウ。北斗神拳とは、経絡秘孔(要するに“ツボ”ね)を突くことにより、敵の身体を内部から破壊する恐るべき必殺の暗殺拳である。
と、いうのが作品中での設定。この辺は私がグダグダ書くより、原作第1話をお読みいただく方が手っ取り早い。さて、「北斗の拳」には、ケンシロウ以外にも様々な超人的な“拳法使い”が登場する。すると、必然的に「誰が一番強いんや?」という興味が沸いてくる。実際、このpageの2chリンク集を見ても、その種の“最強スレ”が多数存在することが判る。この作品で強さを議論するとき、最もモンダイになることは、果たして主人公ケンシロウの強さがインフレを起こしているか否か?という点だ。
“インフレ”の典型例として有名な漫画の1つは、何と言っても「ドラゴンボール」。前半(ピッコロ大魔王の辺りまでか)は純粋な武道漫画の趣があったが、中盤以降は、人が高速で空を飛ぶわ、兵器以上の威力の気孔波を打つわ、もう別世界。賛否両論あると思うが、これが中期以降の「ドラゴンボール」の特徴の1つになっていたことは確かだろう。
さて、我が「北斗の拳」はどうかというと、連載開始から終了まで、目だったインフレは殆ど存在しないと私は考える(もちろん、意見を異にする方もいらっしゃるでしょうが、あくまで私見ということで)。そもそも、連載第1話から、ケンシロウは超人的である。何しろ、ツボを突いただけで頭部が破裂するなど、既に十分すぎるほどファンタジーではないか。最初のボスキャラであるシンが用いる“南斗聖拳”にしても、相手の胴体を突き抜けるほどの手刀や蹴りなど、現実の武道の範疇を遥かに凌駕しているではないか。確かに、連載が進むにつれ、戦いの中に新たな要素が加わるようになったことは確かだ。ケンシロウvsラオウの1回戦から登場した“闘気”の概念や、超能力的な技である“夢想転生”などが代表例。しかし、これらの中途追加要素は、ドラゴンボールのそれと比べて、遥かに些細なものではなかろうか。
つまり、「北斗の拳」は、当初から、ファンタジー性に溢れる独創的な世界観を提示し、それを最後まで崩さなかったという点で、一貫していると考える。すなわちインフレなど起きていない(強いて言えば最初から十分にインフレ)。私がこの作品を好む理由の一つがこれである。