No.25 ラオウ(2004/2/22)

 北斗神拳先代伝承者リュウケンの一番弟子。トキの実兄。カイオウの実弟。トキ、ジャギ、ケンシロウの兄弟子。伝承者がケンシロウに決定した後、一子相伝の掟に背き、己の野望である世界制覇のために決起する。拳を封じようとする師父リュウケンを返り討ちにした後、その強大な拳力を背景に“拳王”を名乗り、次々と各地の村を支配下に収める一方、カサンドラ牢獄に武芸者を収容して技を奪い取り、より己の力を強大にしようとする(実効があったかどうかは不明)。ケンシロウとの初の一騎打ちに引き分けたことで軍団が一旦霧散するが、先代リュウケンの兄弟弟子コウリュウを撲殺することで傷を癒して復活(何と強引な治療法)。再び天を目指し決起、トキを倒し(ただし殺しはせず)、立ちはだかる南斗五車星のうち4人を殺し、部下ウサを殺してウサ晴らしをし(w)、いよいよ南斗最後の将ユリアに迫ったところで、ケンシロウに倒される。

 ところが、死後も様々な回想シーンの中に登場、ストーリー展開に大きな影響を与え続けることになる。既に述べた通り、当初は強大な拳力で君臨する暴君のイメージだったが、徐々に人物像が変わってくる。最終的には、「誰よりも愛深き男」「拳ではケンシロウをもしのいだ男」という具合に美化されていく。後付けでキャラ設定が変わっていった好例。賛否両論分かれるところである。

 「北斗の拳はラオウの死で終わった」という意見をネット等で時々目にする。推測するに、このような意見を持つ人はさらに二派に分かれると思う。一つは“後付け”を嫌う故に回想シーンでのラオウ像を好まない人たち。もう一派は、ラオウを絶対的に崇拝する故に、彼が直接登場しないストーリーを物足りなく思う人たち。私個人は、天帝編以降のストーリーも十分に見所があると思っているので何れの派にも与しないのだが、どちらの気持ちも分かるような気がするのだ。作中、ラオウは、その凄まじい強さのみならず人間的な脆さも十分に描かれている。こんなキャラは稀である。主人公のケンシロウでさえ、完璧な才能と強さは描かれているが、人間的な感情の起伏が余り伝わって来ないように思う。これが、ラオウというキャラを人気NO.1キャラに押し上げている原因であろう。何しろ、作者自身が思い入れタップリに描いているのだから。

 なお、私自身はラオウをさほど崇拝はしていない。特に、死後のケンシロウやリンによるラオウ評は過大評価気味のような気がしてならない。それでも、後付けエピソードをつまらないと思ったことは無いですね。まあ、どちらかというと好きなキャラ、という感じでしょうか

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