No.64 修羅の国の制度を考察してみたが…(2004/9/17)
修羅の国とは何なのか、作中からデータを拾って列挙してみる。
ここまで書いて、正直、よくわからなくなってきた。
まず、冒頭に挙げた「北斗、南斗、元斗の源流」であるが、修羅の国を現在の中国がある地だと考えれば、何となく納得がいく。現実世界でも、中国には色々な武術があるからだ。ただ、実際には修羅の国編には南斗、元斗は一切登場していない。これは作者の都合なのだろうが、中国の国土が広大であることを思えば、描写されない地域に南斗、元斗の源流があったのかもしれない。ファルコの勘違いである可能性も否定できないが。
「男子の生存率1%」について、原作の描写を見る限りはそうとは思えない。きっとファルコの勘違いであろう。
実は私は長年、回想シーンでのラオウの台詞「兄者がここを修羅の国にするなら…」見落とし、修羅制度は何千年も前からあるものと思い込んでいた。そうでなければ、カイゼルの1800勝などの戦績が不自然だからだ。ただ、よく考えてみればカイオウ建国説の方が自然である。核戦争の起こらない現実社会にこのような極端な制度の国が存在する方がおかしいからだ。カイゼルの戦績は「ヒクソン・グレイシーの400戦無敗」と同種であろう。
ここまでは良いが、根本的な疑問が一つ。「こんな制度を作ってカイオウに何のメリットがあるのか?」
国民を戦士として育成して世界を征服する積もりなのか? それだと独裁的な鎖国政策を採っていたことと矛盾する。むしろ一般民衆が力を持たない方が制御しやすいだろう。ラオウが「兄者のやり方では天は握れぬ」と言ったのは、その辺を指摘していたのかもしれない。
これ以上考えても進展が無いので、とりあえず本記事を閉じる。気が向いたら加筆するかも知れない。