No.69 なぜ秘孔「新一」は使われなくなったのか(2004/9/30)
北斗神拳は気を込めて経絡秘孔(ツボ)を突くことで、敵の肉体を内部から破壊する拳法。作中には数多くの“秘孔”が登場するが、ごくたまに「それは本気なのか?」と思えるような珍名秘孔が登場する。たとえば…
さて、秘孔“新一”は意志に関係なく口を割る秘孔であり、作中ではケンシロウがフォックスに対して用い、ジャッカルの行き先をしゃべらせている。描写から判断するに、精神・神経系に直接作用しているので、隠し事を白状させるのにこれほど適した秘孔はあるまい。
ところが、これほど便利な秘孔であるにもかかわらず、“新一”が作中で使われたのはたったの一例に過ぎない。のちに、ラオウがジュウザから南斗最後の将の正体を聞き出そうとした際は、“解亜門天聴”を突いている。“解亜門天聴”は“新一”とは若干効果が異なり、主に肉体的苦痛で白状させる秘孔である。我慢するとと全身から血が噴出して死に至る。これも強力なのだが、ジュウザのように並外れて強い意志を持っていれば最後まで我慢されてしまうので、やはり“新一”の方が目的に合っている。
ケンシロウに至っては、その後の展開で誰かに白状を強いるときには秘孔を突かず馬鹿力でボコボコに殴っているのだ。では、なぜ“新一”は使われなくなったのだろうか? 300秒間の長考の末、次のような仮説を立ててみた。
“新一”の効果は、催眠術に近い。本物の催眠術が意志の強い人物に効かないことを考えると、ジュウザには通用しないことが考えられる。だから、敢えてラオウは肉体的苦痛で強迫する“解亜門天聴”を選んでみたのではないか。または、“新一”であっさり喋らせるのはラオウの美意識には合わず、相手に屈服感を味わわせた上で喋らせることを良しとしたのかも知れない。では、ケンシロウが雑魚相手になぜ秘孔を突かなかったのかといえば……???……たぶん、単にボコボコに殴るのが好きだったからでしょう。
まあ、実際のところは、複数回登場させるほどのインパクトがない秘孔だったので、作者が敢えて描かなかったか、作者自身が“新一”の存在を忘却していた、というのが真相なのであろう。星新一氏(1926-1997)や中沢新一氏(1950-)からクレームがついた、というのであれば、別の意味で意外なのであるが…
追伸:“解亜門天聴”は『蒼天の拳』でも登場しているらしい。うーむ、“新一”と“解亜門天聴”の扱いの違いの理由は、単にネーミングの差であるような気がしてきた。