私はプロレスファンの端くれである。どの時代・団体のプロレスが一番好きか?と問われると、迷わず、1980年代の全日本プロレス、と答える。ジャイアント馬場自身も現役として健在である一方、実質的なエースとしてジャンボ鶴田が君臨していた時代。そして、シリーズ毎に多数の外国人選手たちが来日し、それが興行の目玉として成立していた時代。当時の外国人レスラーといえば、人気・実力を兼ね備えたハンセン・ブロディをはじめ、ファンクスも未だ現役(テリーは一旦引退したが)。更に80年代半ばにはロード・ウォリアーズが登場。これだけでも十分豪華なのだが、当時のアメリカン・プロレスを支える団体であったNWAやAWAの中心レスラーが来日するのも楽しみであった。NWA王者を長く張ったハーリー・レイスやリック・フレアー、AWAの象徴であった大王者ニック・ボックウィンクル…
私にとって、各シリーズに誰が来日するか、は大きな関心事だった。そして、1984年5月に開幕したシリーズ「グランドチャンピオン・カーニバル」で、まさに奇跡のマッチメイクが実現。主役は、写真の4人だった。
左から順に、
● ハーリー・レイス。1970年代から1980年代にかけ、7度に亘りNWA世界王座を奪取。“ミスタープロレス”“美獣”の異名を取った。
● リック・フレアー。1981年以降、8度のNWA世界王座奪取をはじめ、WWF,WCWでも王座に君臨するなど、常にアメリカンプロレスの中心にあり続けた、“狂乱の貴公子”
● ケリー・フォン・エリック。伝説のレスラー、フリッツ・フォン・エリックの3男。後年の自動車事故以後は、不遇のレスラー生活の末、早世したが、当時は24歳で将来を大きく嘱望されていた。第65代NWA世界王者。
● ジャンボ鶴田。日本が生んだ名レスラー。恵まれた体躯とアマレスのバックグラウンドを持つ。1980〜90年代初頭には実質的な全日のエース。残念ながら、2000年5月に逝去。
「グランドチャンピオンカーニバルII」に至る背景を簡潔に記しておく。この年、1984年の2月23日に、ジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルを下し、AWA世界王座を奪取。一方、この当時のNWA王者は第64代のリック・フレアー。5月には、フレアーが来日し、鶴田とのダブルタイトルマッチが実現する予定だった。ところが、同年5月6日、フレアーはケリー・フォンエリックに敗れ、王座を失い、1週間後の5月13日、鶴田も米国の試合でリック・マーテルに敗れ、王座陥落。ダブルタイトルマッチ構想は頓挫した。とは言え、ここからが当時の全日本プロレスの凄いところ(正確には社長のG.馬場さんが凄いのですが)。フレアーの代わりに現NWA王者のケリーを来日させるのは当然として、元々来日予定だったフレアー、そしてNWAの重鎮レスラーであるレイスまでも来日させ、連日のNWA世界戦を実現させたのだった。夢の豪華メンバーによるシリーズは、世界タイトルマッチ以外に、もう一つの思わぬ副産物を産むことになった。
ノンタイトルマッチ
○ハーリー・レイス(体固め)●リック・フレアー
まさに、プロレス名人同士の夢の対決。タイトルに縛られない状況だったので、互いの持ち味を十分に発揮した名勝負となった。
NWA世界タイトルマッチ・60分3本勝負
△ケリー・フォン・エリック(1-1)△ジャンボ鶴田
鶴田ファンの間では、「彼が最もNWA世界王者に近づいたのはこの日」だと言われている。確かに、キャリア・格共に鶴田の方が遥かに上だった。しかし、結果は王座移動無し。強い鶴田相手に王座を守りきったケリーは、この後のフレアー、レイス戦でも王座を死守できるような気がしたのだが…
NWA世界タイトルマッチ・60分3本勝負
○リック・フレアー(2-1)●ケリー・フォン・エリック
まさか、王座が移動するとは思わなかった。米国ならいざ知らず、ここは日本。しかも、ケリーは将来を嘱望されるベビーフェース。ところが、フレアーはチャンピオンとして戦うときの“ノラリクラリ”戦法とは一味違うファイトでケリーを圧倒した。フレアーファンである私は勝利に喜びはしたものの、少々意外だった。プロレスの奥深さを垣間見た気がした。なお、日本での外国人同士の戦いでNWA王座が移動したのはこのときだけ、と記憶している。
NWA世界タイトルマッチ・60分3本勝負
△リック・フレアー(1-1)△ハーリー・レイス
そして、66代王者に返り咲いたフレアーは、3日前に敗れたレイス相手に、この日はキッチリ防衛。ただ、この日の試合は確かノーTVだったので、私は観ていません。
最後に、私が1980年代の全日本プロレスを好む理由を書いておこう。1つは、既に述べたとおり、当時のアメリカン・プロレスのトップクラスが多数参戦するという豪華さ。もう1つは、軍団構想を売り物にしなかったため、1回の試合に結構重みがあったこと。
そのため、トップクラス同士の対決は“両者リングアウト”“両者反則”などの不透明決着に終わることが多かった。今思えば、この決着にはリアリティがあったと思う。トップレスラーならば、容易に負けるわけにはいかないからだ。
ところが、現在のプロレス界では、同格のTOP同士の対決でも、とにかくリング上で決着をつけることが暗黙のルールになっているかのようである。そして、負けた方はリベンジマッチで勝ち、対戦成績を五分に戻すことが少なくない。いわゆる“行って来い”である。考えようによっては、これだと「絶対負けられない」という緊迫感に欠けるのではなかろうか?
最近10年間の日本のプロレスは、リング上決着ルールによって、却ってリアリティが失われたような気がして、個人的には少しつまらないのです。