相撲史に残る数多のライバル対決の中で、「輪島vs北の湖」はまさに最高と呼ぶに相応しいと考えている。私が、他の有名な対決をさしおいて、何故「輪湖対決」をイチ押しするか、まずは理由を述べておく。次の表をご覧頂きたい。
栃錦 清隆 |
通算対戦成績 19-15 |
若乃花 幹士 45代横綱・1928年生 優勝10回 |
柏戸 剛 47代横綱・1938年生 優勝5回 |
通算対戦成績 16-21 |
大鵬 幸喜 48代横綱・1940年生 優勝32回 |
輪島 大士 |
通算対戦成績 23-21 |
北の湖 敏満 55代横綱・1953年生 横綱昇進:1974年9月 優勝24回 |
曙 太郎 64代横綱・1969年生 優勝11回 |
通算対戦成績 21-21 |
貴乃花 光司 65代横綱・1972年生 優勝22回 |
直接対戦成績をみる限り、どれも拮抗しており、なるほど名勝負と思わせる要素があるが、輪湖対決に較べると、栃若は2人の優勝回数の合計の少なさで、柏鵬は直接対決以外での2人の実績に差がありすぎること、曙貴の2人はそれぞれ輪湖と較べて一回り劣った成績であることを減点材料とした。輪島と北の湖の場合、2人の優勝回数の和が最大であるのみならず、当時の角界の中で抜きんでた実力の持ち主であったこと(リアルタイムで観た者には明らか)が高く評価できる。加えて、この2人の強い横綱の対決は千秋楽で相星または1差で迎えることが多く、その緊張感はたまらないものであった。
共に左四つを得意とするが、十分の体勢が微妙に異なる。輪島は右で相手の左腕を絞って差し手を殺し、「黄金の左」と称された左下手投げから相手を崩す相撲。北の湖はガップリの体勢で両廻しを取り、恵まれた体格を生かし堂々と前に出る相撲。
しかも、輪湖対決には世代闘争としての面白さがあった。個々の対戦経過はこちらのsiteに詳しい。1973年に輪島が横綱に昇進してから1976年頃迄は、輪島の方が北の湖を圧倒していた。輪島といえば、学生横綱→幕下付け出しでデビューした後、驚異のスピードで横綱に出世し「天才」と呼ばれた力士である。
しかし、真の「天才」は北の湖の方だった。1976年後半以降は、成績的にも内容的にも次第に北の湖の方が優位に立っていく。元々の素質に加えて相撲から弱点が消えて心技体ともに充実した北の湖は、まさに“憎たらしいほどの強さ”を感じさせた。そんな北の湖に勝つには、僅かな隙を突いて自分が有利な相撲に持ち込むしかない。輪島は、自らに追いつき追い越していく強敵に対し、常にギリギリの戦いを挑んでいた。廻しに霧を拭きキツク締め上げて上手を取らせないようにした逸話もある。ほんの僅かでも相手有利の状況を作ることは即敗北を意味するからだ。2人の対決の最後期には、TVのアナウンサーは輪島に対し「先輩横綱の意地」という表現を用いるようになる。北の湖の方が格上であることを暗に認める表現である。
北の湖は大相撲史上屈指の大横綱であった。とはいえ、最後の一つ前の対戦で輪島が北の湖に勝って見せたことや、最終通算対戦成績では輪島の方が上回っていることなどを考えると、やはり輪島も並の横綱ではない。四つ相撲を得意とする正統派の強い横綱による極上の名対決であったと言えよう。