いわゆる新本格の先駆者。ホラー作家としての一面も持っています。
80年代後半以降に登場した古典本格的な作風をもつミステリ作家の一派を「新本格派」と呼ぶことがあります。綾辻行人は紛れもなくその中で先頭を切って登場し、日本のミステリ史の新たなページを開いた大功労者であることは論を俟たないでしょう。1987年のデビュー作『十角館の殺人』(講談社文庫)は一部の本格好きに拍手で迎えられた一方、「ミステリの歴史を逆に戻すものだ」「人間が描けていない」との批判もあったと聞いています。前者の批判は単に本格ミステリを余り好まない人の発言であり、個人の嗜好の問題に過ぎないので議論に値しないと思うのですが、後者は小説技術の根幹に関わる重要事項だと思われます。実は、私は学生時代、『十角館の殺人』が文庫で発売されて間もなく購入して読んだのですが、正直そのときは余り面白く読めなかったのです。これならA.クリスティなどの本物の古典の方が面白いではないかと。そう思わされた一因は、やはり人物に魅力を感じなかったことなのかも知れません。ただ、今読んだら全く違う感想になる可能性もあるので、機会があれば近いうちに再読したいと思ってはいます
ところで、仮に綾辻作品の人物描写に不満を感じたとしても、綾辻氏の文章力が劣っていると考えるのは大きな誤りです。むしろ、この世代のミステリ作家の中では文章が上手い方に属していると思っています。実際島田荘司氏は「綾辻氏は人間を描けないのではなく、トリックのためにあえて描かないのだ」という内容のことを述べています。その綾辻氏の文章力を広くミステリファンに知らしめた作品が、今回紹介する『霧越邸殺人事件』です。
ストーリーは典型的な吹雪の山荘もの。信州の山奥で猛吹雪に閉ざされた豪奢な洋館「霧越邸」で連続殺人が起こるという、まさに定番中の定番。本作の登場人物も確かに魅力的とは言い難い面がありますが、個性的に描き分けられています。そして何より、アールヌーヴォー調に装飾された邸の描写が絶妙なのです。雪に閉ざされた冷たい空気感までが読む側に伝わってくるようです。雰囲気作りが上手い作家なのですね。
そして、肝心のミステリ部分は、本格として全く文句のつけようのないものです。読む側を惑わせるミスディレクションが巧妙に仕掛けられていますし、何よりも、犯人を推定できる伏線や手がかりがフェアに散りばめられています。更に、変則的な技術に頼らない正統派のトリックで勝負している所も気に入りました。ラスト近くでは、幻想小説風の遊び心も披露しているのですが(この部分を批判する声をWebで見かけたことがある)、私はこれは決して小説のメインディッシュではないと思います。
やはり、この作品は名手綾辻行人の手による貴重な本格中の本格ミステリと捉えるべきでしょう。
夏期合宿のため双葉山を訪れた親睦団体<TCメンバーズ>の一行が、突如出現した「双葉山の殺人鬼」とやらに次々と殺されていく話。この殺人鬼は通常の人間らしい感情を持たず、しかもとてつもない怪力の持ち主と言う設定なので、皆成す術もなく殺されていくのだ。
とにかく殺戮場面の描写が凄い。痛い。痛い。痛い。思わず頁から目を背けたくなる程に。完全に好みが分かれる作品です。いやー面白かった。実は本作にはミステリ的な仕掛けも施されているのですが、そんなことはどうでもよくなるほどの徹底したスプラッタ描写なのです。ここまで痛みを表現できるとは、やはり綾辻氏の技術は並大抵のものではない!
文庫解説で大森望氏が紹介していた、スプラッタの名手友成純一の『獣儀式』(幻冬舎アウトロー文庫)も後日読んでみました。これも凄い作品なのですが、殺されゆく者の痛みの表現と言う点では個人的に『殺人鬼』に軍配を上げます。
ところで『殺人鬼2』(新潮文庫)は未読なのです。読みたいのは山々ですが、それなりに覚悟を決めて読まねばならないので、踏み切れずにいるところです。読んだらここに感想を書きます。
もはや説明不要。本作では冒頭から殺人鬼氏が無茶苦茶やってくれます。相変わらず読む人を選ぶ個性的な小説です。殺戮シーンは前作より多いのでは? そのせいで、若干痛さに慣れてしまうのがややマイナスかも。一方、綾辻作品には珍しく、某キャラクタに感情移入して描かれているのが(本筋とは関係のない)見所になっています。もちろん、前作『殺人鬼』読了後に読む方がずっと効果的です。
ところで、小説に登場する最悪キャラ『双葉山の殺人鬼』氏は、普段は何を食べて生活しているのでしょうかね。
鎌倉の森に立つ『時計館』には、108個の時計コレクションと時計塔があり、10年前、ここで一人の少女が死んで以来、館に関わる人々に次々と死が訪れる。そして、時計館を訪れた9人の男女に連続殺人の恐怖が…
ミステリ界に衝撃をもたらしたとされる『十角館の殺人』に始まる「館シリーズ」の1つで、シリーズ屈指の大作。第45回日本推理作家協会賞受賞。Webを見る限り、綾辻の最高傑作に推す人が多いようです。残念ながら私の好みには一寸合わないのですが、評判が良いことは十分頷けます。考え抜かれた大技トリックと、「館」そのものの持つ雰囲気の描写が、このシリーズを支えているのでしょう。
本作品集は、5つの中短編からなっており、基本的にはいずれも“犯人当て推理ゲーム”に徹しています。すなわち、推理とは直接無関係な描写は控えめである一方、予め真相へ辿り着くためのデータが完全に与えられています。おまけに5編中4編には「読者への挑戦状」が挿入され、雰囲気は満点です。
素直に犯人を当てようとして読む場合、当てるのはかなり困難かと思います。新本格の旗手に相応しく、どの作品もかなり凝ったトリックが施されているからです。ただ、前述の通り、解決のための手がかりは残さず書かれているので、悪い意味での「騙された」という感覚にはならないと思います。
推理部分以外の趣向も凝っています。ミステリファンや、綾辻作品をいくつか読んできた人ならば思わずにやりとするような含意がそこかしこに散りばめられていますし、集中の「伊園家の崩壊」では優れたパロディストとしての一面も見せてくれます。また、冒頭の「どんどん橋、落ちた」はかつて『人間が描けていない』との理不尽な(?)批判を浴びた著者が、それらの声に対する一つの解答を示しているともとれます(詳しくは実作を参照)。
少なくとも、ミステリ的には文句の付け所が少ない好個の中短編集です。予備知識は不要ですが、「館」シリーズのいくつかと『霧越邸殺人事件』が既読の方がより楽しめるかも知れません。