才能論・天才論(名言・格言に思う)
以下の文章は、私がwebの某所(笑)で書いている日記から、ある日の分を抜粋し、若干の加筆、削除、修正を加えただけのものです。
──この街で生まれ この街で育って 今まで何も知らずにいた
家族と離れる寂しさや ひとりで生きる辛さとか
自分の力と無関係なことで あきらめなくてはならないことが
こんなに沢山あるなんて──
(相沢友子さんの曲「サヨナラ」─現在は廃盤─より)
昨日は、またもや、相模線の中でずっと寝てました。しかし、そのような生活も昨日が最後。今後、当分乗る機会が無くなります。
昼間に眠くて仕方がない理由は、3つ考えられます。1つは、夜に十分眠っていないこと。もう1つは、JR事故で一躍注目を浴びた「睡眠時無呼吸症候群」にかかっていること。そして、最後の1つは、アフリカのツェツェバエに刺されたので睡眠病にかかっていること。とは言え、アフリカに行ったことがないので3番目はあり得ないでしょうし、2番目も多分無いでしょうから、きっと、夜の睡眠が足りていないのでしょう。その証拠に、夜の10時や11時にきっちり就寝していた中学・高校時代には、昼間に眠くなることは一切ありませんでした。大学入学以降、そのような家庭の掟(?)の縛りが無くなってから、無性に昼寝が恋しくなったのです。だからといって、中学・高校時代の生活が健全であったとは断言するつもりはありません。トーマス・エジソンの名言に曰く、
「睡眠とは、時間の浪費に過ぎない」
エジソン、とんでもなく大迷惑な格言を残していますね。
格言と言えば、総合BBSの名言スレに書いた、才能と努力に関する2つの格言
「才能と努力と運の比は8:1:1」(森博嗣)
「天才とは、1%の霊感と99%の努力である」(トーマス・エジソン)
これらは、一見相反する主張のように見えますが、果たしてどうでしょうか。
まず、大前提となる私の主張から。
「自分の力や意志だけではどうにもならないことは世の中に沢山あり、『成せばなる』の格言は大嘘である」
これは確かでしょう。例えば私がどんなに努力しても、大相撲の横綱やメジャーリーガーにはなれません(断言)。また、人間関係に関わること──例えば恋愛など──は、努力が最も通用しない世界だと思います。仮に努力が必ず実を結ぶなら、人は必ず愛する人と結ばれることになるので、ストーカーやセクハラの問題などはこの世から消滅するはずですが、そうは参りません。むしろ、「必ず最後に愛は勝つ」などの歌詞の意味を誤解するような香具師(2ch用語)がストーカー行為などに走るわけです。そうならないよう、気をつけて生きていきましょうね。
横綱やストーカーなどは極端な例としても、「東大への入学」程度の事例でも十分でしょう。定員が限られ、かつ大学受験生の学力最上位層のみが受ける東大。誰もが努力すれば入れるなんてことはあり得ません。知人の塾講師(という微妙な表現にあえて留めておきます)から聞いた話では、高1や高2で大した素質を感じない生徒は、どんなに頑張っても東大・京大・東工大等に合格することはあり得ない、と聞きます。それに次ぐ難易度の大学なら、公立TOP高校に入れる程度の素質+努力で突破可能だそうです。逆に、素質があっても、何も勉強しなければ合格はできません。つまり、高校入学時にある水準以上の学力をもち、かつその後の努力を欠かさない者のみが栄冠を得るということなのでしょう。
要は、
「素質がない人間はどんなに努力してもその分野でのTOPにはなれない」
「素質ある者が超人的な努力を積み重ねた場合のみ、『天才』が発生する」
というのが私の結論です。
前述のエジソンが「天才とは、1%の霊感と99%の努力」「睡眠とは、時間の浪費」などの過激格言を残し得た理由は、彼が「発明への努力を惜しまない」という素質に恵まれた天才だったから、だと思うのです。
とは言え、「素質無き者は努力するべからず」などと主張するつもりはありません。なぜなら、ある程度“やってみる”ことを抜きにして、素質の有無を判断するのは困難と思うからです。これまた人生の難しいところですね。自分が素質を持ち合わせている分野、もしくは自分が寝食を忘れるほど打ち込める対象、これらと出会うことができるか否かは、個人の努力の守備範囲からは外れていると思うのです。(例えば、男女の出会いは“縁”である、という認識が定着していると思いますが、それに近いものがあるような。)強いて解決を付けようと思えば、宗教的な領域に踏み込まねばならないような気がするのですが、この文章では荷が重すぎます。
ここまで、他人事のように偉そうに書いてきましたが、ふと、我が身を振り返るとき、心許ない気分になります。自分には、適性がある分野など存在しないのではないか、と。
と、悲観的になっても仕方がないので、ここはあえて楽観的に、桜梅桃李の精神でいきたいと思います。私にも、そしてあなたにも、自分に気づかない才能が眠っているかも知れない、ということで。
参考Page 「才能の格言」(サイト「世界の格言集」 より)
(才能論・天才論 終わり)