安部公房書評

 私が安部公房(1924-1993)の作品と初めて出会ったのは、高校時代、現代文の教科書に載っていた短編 『空飛ぶ男』であった。この作品の前衛性や、人間心理を抉る鋭さに惹かれたのである。 早速、書店で長編小説『密会』を購入。これ以後現在に至るまで、私的に最も好きな作家である。
 安部作品の特徴の1つは、現代の日本を舞台にしながらも、一見現実にはありえなさそうな不条理な設定がなされていることであろう。これにより、読む側は、あたかも現実の世界から切り離されたかのような不思議な心理状態にさせられる。
 しかし、そのような前衛性だけで安部公房は語りつくせないだろう。現実と異なる設定がなされることにより、却ってあらゆる立場の人の心を動かせる可能性も生まれるのではないか。実際、「無国籍作家」と呼ばれることもあり、世界各国で翻訳されて読まれていることは有名。
 個人的には、安部作品は十分に叙情的であるとさえ思っている。年齢や国籍などに影響されない叙情性である。

 以下の書評はすべて小説のネタばらしを含まない。その分、細かい分析はできないのだが、それに関しては別種の書物やサイトを参照されたい。ここでは、可能な限り未読の読者に 作品の魅力を伝えよう、という方針で進める。
 また、感想文は全て新潮文庫版(入手可能)に依っている。

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作品リスト(随時追加します)
『箱男』 『カンガルーノート』 『方舟さくら丸』 『壁』 『密会』 『水中都市・デンドロカカリア』

『無関係な死・時の崖』 『死に急ぐ鯨たち』 『砂の女』

 

『箱男』

トリッキーな構成の奥に潜む、普遍的な人間心理。代表作の1つ。

箱男とは、ダンボールの箱を頭からすっぽり被り、街を徘徊する人間のこと。箱に開けられた小さな穴から外を覗くことができるが、外からは素顔を窺い知ることはできない。浮浪者とは似て非なるものである。浮浪者はかろうじて社会の一員に踏みとどまっているが、箱男は社会からは存在しないものとして扱われるので、例えば店先から食料を調達するのも自由にできるのだ。

 本作はこのような設定のもとで書かれた、箱男を1人称とする物語のはずである。ここで断定を避けたのは、本作が極めて前衛的かつ実験的な手法で描かれていて、書き手が誰であるのか、読者は混乱させられるからである。実はこの点こそ小説のメインテーマと言えそうである。本文中にも次のような一節がある。
「そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が箱男になりそこなったのか。」
 小説冒頭の「ぼく」がその時点で箱男であることは明らかなのだが、中盤、医者と呼ばれる人物が登場し、「ぼく」の箱を買い取ろうとするところから物語は混迷し始める。偽箱男、「軍医殿」…様々な人物が書き手となる。また、所々に本文とは一見無関係なショートストーリー(後述するが、これは絶品)が挿入され、ますます人称は混乱する。
 ところが、その混乱による不安感こそ、実は現代人の多くが共有する気分であるのかもしれない。誰にも見られず、自由に他人を除ける存在というのはある意味で魅力的である。小説の前半でも、箱男の麻薬的な魅力が事細かに描写される。ところが、実際、社会共同体の中で生きている限り、箱男になるのは難しい。このような二律背反的な思いは、普遍的な人間心理なのではないか。

 また、ラスト近くの次の記述は注目に値する。ネタバレにはならないので少し引用する。
「箱を加工する上で、いちばん重要なことは、とにかく落書きのための余白をじゅうぶんに確保しておくことである。いや、余白はいつだってじゅうぶんに決まっている。いくら落書にはげんでみたところで、余白を埋めつくしたり出来っこない」
つまり、箱という一見物理的に外部と隔絶された空間であっても、この世界では必ずしも閉ざされた空間ではないのだ。このように「内と外」を反転させるような騙し絵的発想は安部公房の小説では頻出なので、作品を読み解くための1つの手がかりになるであろう(本作以外では『壁』なども該当する)。

 間違いなく代表作の1つ。私自身、どうしても1つだけ選べ、といわれたら本作を指名する。ただ、私の場合、他の作品をいくつか読んでから本作に触れたので、この構成を抵抗なく受け入れられたが、前衛作品に全く不慣れな人は、いきなり手を出さない方がよいかも知れない。

 作品を彩る他の要素として、看護婦の存在がある。安部長編では主人公近くに重要な役割を担う女性が配されることが多いのだが、本作の看護婦はとりわけ個性的に描かれていて、個人的には魅力的だと思う。
(余談を1つ。何年か前にフジテレビの深夜番組『文学ト言フ事』で本作が紹介されたとき、看護婦を演じていたのは女優の緒川たまきであったが、作品のイメージ以上の美しさに釘付けになったものだ)
 また、所々にショートストーリーが配される。これらは小説のメインテーマに直接間接に関連するのだが、いずれも単独での短編小説としても通用しそうな佳作。個人的には、夢の世界をそのまま描写したのではないかと思われる『夢のなかでは箱男も箱を脱いでしまっている…』が好きである。

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『カンガルー・ノート』

「生」と「死」を描いた最後の完成長編。安部小説よ、永遠なれ。

 ある日突然、脛から「かいわれ大根」が生えてきた男が病院に駆け込むが、自走するベッドに括り付けられ、街へ放り出される。坑道を抜けたベッドと共に、男は不思議な世界へ迷い込む。
 以上が序盤の粗筋である。この世界には、病院も工業地帯も国道もあり、最初のうちは現実の社会(もしくはよく似た世界)のように見えるが、読み進めるうちに、そう一筋縄ではいかないことに気づく。簡単に言うと、「生」と「死」の境界すら曖昧な世界。

 『箱男』『密会』などの他の後期作品と比べると構成的に目新しい要素が少ないのだが、だからと言って、重要でないわけではない。むしろ、他の安部作品にない特異な個性を持った作品になっている。なぜなら……
 本作は1991年に発表された安部氏の最後の完成長編小説である。作品の内容を語る上で、このことは決して無視できない。というのはこの時期安部氏は肉体的に衰弱していたと思われ、おそらく(少なくとも漠然と)死をも意識していたであろう。作品の所々にそれを匂わせる部分がある。分かりやすいところでは、「三途の川」や「賽の河原」などの死を連想することばが登場するし、それ以外にも死への畏怖を暗示するような表現が見える。
 安部氏の小説には、自らの経験を直截的に描くような私小説的な要素は殆ど無いのだが、この作品だけは例外的に、氏の感情がストレートに伝わってくるように思う。実際、本作のハードカバー版の帯には、「闇莫の私小説」と記されていた。これは、作品の雰囲気を見事に伝えている。

 ところで、作品タイトルの「カンガルー」とは何を意味するのか。本作の冒頭の章での主人公の発言にヒントがある。以下はその要旨。カンガルーは有袋類に分類される動物である。哺乳類は大別して有袋類とそれ以外の真獣類に分かれ、有袋類はオーストラリアなど、他の大陸と切り離された所で独自な進化を遂げてきた。このため、有袋類の中には、真獣類の特定の種と外見が似ているような種が多い。例えば、タスマニア・デビルはハイエナと、ウォンバットはアナグマと、フクロネズミはネズミとそれぞれ似ている。しかし、例えばフクロネズミは敏捷性ではネズミに到底かなわない。このように有袋類は真獣類の不器用な模倣であるように見える(実際、現在の分布域以外での有袋類は真獣類との生存競争に敗れ、淘汰されたと言われる)。
 この主人公の主張が意味するものは、必ずしも思い通りに生きられない「生」の苦しみではないだろうか。だとすれば、この作品のテーマの1つは「生」と「死」だといえる。もちろん、このテーマは非常に重く、各人によって捉え方が異なるであろう。しかし、少なくとも、本作で安部氏は自分なりの立場でこのテーマを描ききっていると言ってよいのではないか。

 この小説の本文の最後6行は、それまで安部作品を読み続けた私にとってショッキングな内容であった。詳しくは述べないが、それまでに安部氏が作品で築いてきた偉業への自負と共に、拭い去れない「死」への畏怖が 感じ取れるのである。特に、安部氏が亡くなられた直後にこの部分を再読したとき、ラストでは身体が震えて止まらなかった。
 だから、この作品は、安部氏の代表作をある程度読んでから触れた方が良いかもしれない。

 最後に、今更ながら、安部公房氏の冥福を心からお祈りしています。

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『方舟さくら丸』

極めて現代的なテーマを描くと共に、人間を描き切る。代表作の1つ。

 広大な地下採石場を、現代の方舟たる巨大核シェルターにしようと企む男が、共に乗船する資格をもつ者を求めて街へ出るところから物語は始まる。果たして、船は無事に出港できるのだろうか。

 長編小説としては、後期作品に分類できるのだが、これに先駆けた2作品『箱男』『密会』に比べると、構成面でとりたてて目新しい部分はなく、この点では至って保守的とも言える。そのため、前衛性を求めて安部作品を読む人(どちらかというと私自身その傾向がある)にとっては物足りなさを感じるかも知れない。しかし、本作品は、それを補って余りあるほど、人物の造形が個性的で、描写が巧妙なのである。
 まずは何といっても主人公。「もぐら」という綽名を自称する元カメラマンの青年なのだが、体重が100キログラム近くに達する肥満体で、人付き合いは苦手。その一方で、専門家には及ばないものの様々な分野の知識が豊富で、ひたすら現代の方舟の完成を目指して突き進む。現代日本の俗語で言うと、まさに「デブオタ」である。
 また、この「もぐら」なる人物は、小説前半で登場する「ユープケッチャ」という架空の虫に魅了される。自らの便を食しながら、食物連鎖を自己完結するこの虫の様に、独り採石場跡で暮らす様子はまさに「ヒキコモリ」である。 ところで、この「ユープケッチャ」は物語のメインテーマを象徴している。我々は共同体から自由になり得るか否か? これは比較的初期の作品から続く安部作品ではお馴染みのテーマである。

 主人公を取り巻く人物も皆個性的である。特に、小説のタイトルにもなっている「サクラ」という男。裏の世界で他人を欺きつつ生きながらも、どこか憎めない部分がある男。安部氏のエッセイなどから推察するに、作者のお気に入り人物だったようだ。注目しながら読み進めるのもよいであろう。
 他に、主人公と対立する存在として描かれる“生物学上の父”「猪突(いのとつ)」の造形も凄い(個人的には最も印象に残った)。その他、軍歌を歌いながら街を掃除する一方で、女子中学生狩り(!?)に奔走する集団「ほうき隊」など、中盤以降は様々な人物が入り乱れてのドタバタ劇。そして、主人公の脚が巨大便器に吸い込まれて身動きが取れなくなる場面から、物語は思いがけない結末に向かうのである。

 古典的な小説の形を取りながらも、安部氏の持ち味が存分に発揮されている。その意味で、『箱男』などとは違う意味での代表作と言えるであろう。
 蛇足気味の追記を1つ。この主人公は体型を除けば、私自身とかなり共通する個性を持っているように感じられて、身につまされる。そう思わされている時点で、実は作者安部公房の術中にはまっているのかも知れない。

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『壁』

1951年芥川賞受賞作品。一分の隙も無い奇蹟的な寓話集。

 安部公房の初期作品の最大の特徴は、カフカばりの前衛性、不条理性を持ちながらも、独特の明るさやユーモアに彩られた良質な寓話性をも兼ね備えているだと思っている。『壁』と題されたこの中短編集は、そのような安部らしさが最もストレートに表現された記念碑的作品集と言えよう。まずは各収録作品について簡潔に感想を述べてみたい。 ただ、この作品の背後にある中心的な哲学に関しては触れないことにする。読み手の立場によって受け取り方が様々だと思われるので。
 なお、この作品集には石川淳が序文を寄せているが、作品への深い愛情と理解が感じられる名文である。本当は私ごときが作品を論ずるより、この序文を読んだほうがより作品への理解が深まるのだが…

『S・カルマ氏の犯罪』
 本作品集を代表する中篇。ある朝、突然自分の名前を失った男が不条理な世界に巻き込まれる話。
 ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の影響が色濃く感じられる。例えば、中盤で主人公が不条理(と思われる)理由で裁判に巻き込まれるが、この裁判の場面は非常にユーモラス。実際、安部公房氏自身もインタビューやエッセイで『不思議の国のアリス』が好きであると発言している。
 とは言え、前述のような安部作品らしい個性も存分に発揮されている。構成面では一分の隙も無く、1語たりとも付け加えたり削ったりできないのでは、と思われるほどに練られている。まさに芥川賞受賞も当然と頷けるほどの超絶的力作。

『赤い繭』
 帰る家がない男の身体が突然繊維に変わり、最終的に繭に変化する超短編。若干、終戦直後という時代背景を感じる作品。

『洪水』
 人間が次々と液体化することで洪水が起こる話。これも、終戦直後という時代背景による貧困の影響が感じられる作品。ただ、途中、「ノアの方舟」が登場し沈没する場面は、後年の『方舟さくら丸』のテーマと一脈通ずる。

『魔法のチョーク』
 ある貧しい画家が不思議なチョークを手に入れる。壁に描いた物体が画家の部屋の中のみで実体化するのだ。画家は食料をはじめとして、ミス・ニッポンの女性をも実体化するのだが…
 ある意味で、「壁」という本作品集のテーマを最も分かりやすく伝えてくれる佳品と言える。叙情性も本作品集随一である。個人的に好きな短編。

『事業』
 当時の安部氏の(というより多くの日本人共通の)思想的な背景が感じられる短編。

『バベルの塔の狸』
 ある日、空想癖がある男が、奇妙な動物に突然影を喰われて、目玉以外のあらゆる身体の部分が透明になってしまう。男は影を取り返すべくバベルの塔に向かうのだが…
 一見「壁」とはつながりが無さそうに思える話。その点に突っ込むと難解なのだが、とにかく理屈ぬきで話として面白い。

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『密会』

私が初めて読んだ安部長編。猜疑心と性欲に囚われた社会。苦い恋愛。『箱男』と並び称される野心作。

 ある男の妻が、突然救急車で連れ去られる。行方を追う男はある病院に辿りつくが、そこではあらゆる場所に盗聴器が仕掛けられ、皆が猜疑心と性欲の虜になっている。4本足で2本のペニスをもつ馬人間の斡旋で、男は巨大盗聴装置を用いて妻の姿を追い続けるのだが…

 名作『箱男』に次いで発表された長編。『箱男』のテーマが覗きである一方、『密会』は盗聴がテーマの1つなので、この2作品の関連は深いのだが、小説構造や人物設定が異なるので、かなり味わいも異なるものになっている。
 個人的にまず強烈に印象に残っているのは病院の設定である。前述した盗聴器の件もさることながら、熟読してみると建物の構造が異様に複雑であることが判る(私が幼い頃に大病院の病棟の廊下に独り取り残されたときの印象と同じ)。また、商店街などの外部社会と病院との境界線が曖昧になっているのが何より不気味であり、小説全体のメインテーマにもつながっていく。前衛的な酩酊感のような気分を味わうには最適と言えよう。

 主人公の男は、自らの行動を盗聴したカセットテープを再生することで妻探しに挑むのだが、結局それによって自分自身が追い回されるという無限ループに陥ってしまうのだ。このような「追うものが追われるものに」というモチーフは安部小説では定番で、他には『燃えつきた地図』などの作品にも現れるが、本作はとりわけこのテーマを分かりやすく伝えてくれる。また、中盤以降 、恋愛小説としても読めることはこの作品を語る上で見逃せない。詳しくは述べないが、苦い結末は衝撃的かつ叙情的かつ情熱的である。

 全体として、設定は前衛的なのだが、構成は『箱男』に比べると分かりやすいので、初めて読む安部長編に適しているかもしれない。実際私自身もこの作品をきっかけに、他の安部作品を次々と読むことになったのだから。

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『水中都市・デンドロカカリア』

時代を反映した叙情性。痛いほどの不条理。
珠玉の初期短編集でもあり、貴重な“戦後文学”でもある。

『デンドロカカリア』
  安部作品でよく用いられるテーマの1つに、“登場人物の変形”がある。この話では、主人公は“デンドロカカリア”という植物に変形する(冒頭に書かれているので、ネタバレではない)。この“変形”が何を意味するのか、各人様々な解釈が可能である。押し付けがましい教訓めいた要素が殆ど皆無なのも安部文学の魅力なのだ。強いて私自身の考えを述べさせてもらうならば、生きている限り常に付き纏う自らの存在への不安(何故生きる?orこの生き方でよい?etc)を象徴的に表現しているのではないか。
 本作品は、安部公房流“変形”のエッセンスを分かりやすく伝えてくれる。加えて、文体は非常に軽妙で、暗さを感じさせないのも魅力となっている。

『手』
 ある1羽の伝書鳩が様々な形に“変形”していく。スピード感に溢れた短編。

『飢えた皮膚』
 飢えた男が、自分を侮蔑した女に復讐を試みる話。珍しくちょっとハードボイルドかつエロティックな展開だが、やはり安部公房らしい結末。

『詩人の生涯』
  この短編集の収録作品の特徴の1つとして、昭和20年代の日本という時代背景が色濃く滲み出ていることが挙げられるだろう。例えば主人公が貧しかったり、社会主義的な政治思想を持っていたり。この点、中後期以降の時代を超越した作風とは異なる。とは言え、決してそのことはマイナスではない。この点は文庫解説のドナルド・キーン氏と全く同意見である。同じ作者でも、様々なタイプの作品が読めるのは嬉しいことだ。
 特に、この作品は、安部作品らしい“変形”による前衛性を保ちながらも、主人公をはじめとする登場人物に対する暖かい目が感じられる。安部氏は自らの経験や心情を直截的に描くことが滅多にないだけに、貴重な作品と言える。Webを見る限り、人気も結構高いようだ。時代を的確に描き、かつ叙情性にも溢れた戦後文学の佳品であると思う。

『空中楼閣』
 作品全体、とりわけ『空中楼閣』ということばに込められた意味を考え始めると意外と難解か。それでも安部氏独特のユーモアに支えられて楽しめる。

『闖入者』
 アパートで独り暮らしをする男の部屋に、ある日9人の家族が闖入し、多数決と暴力を盾に居座ってしまう。男は警察などの外部に助けを求めるが…
 安部作品の特徴の1つである不条理がメインテーマ。とりわけこの作品は各登場人物が印象深く描かれていることと相まって、主人公の苦悩や痛みが生々しく伝わってくる。思わずページから目を背けたくなるほどに。
 間違いなく安部公房の短編代表作の1つであろう。後年、(背景とする時代が異なるとは言え)同テーマの戯曲『友達』が書かれていることから、安部氏自身もこの作品を重要と捉えていたのではないだろうか。

『ノアの方舟』
 安部公房流のノアの方舟譚。『闖入者』に通ずる不条理性を孕みながらも、ある意味での痛快さも併せ持つ。

『プルートーのわな』
 完全な寓話であり、切れ味の鋭い超短編。

『水中都市』
 ある日突然、主人公の前に父親と名乗る男が現れ、奇怪な魚に変形すると共に、世界が水中に沈んでいく。
 安部文学の様々なエッセンスが詰まった短編であり、非常に読みごたえがあり、かつ理屈ぬきでも楽しい作品。個人的に初読時のインパクトはこの作品集随一であった。登場人物の変形、ユーモア、前衛的設定(水の中で呼吸をしなくても死なないわけだし)、個性的な人物描写……何でも揃っている。
 他に、登場人物の一人である間木が描いた3枚の絵が個人的に印象に残った(私自身現代の抽象的絵画が好きなせいかもしれないが)。ここには水没した工場や魚などが描かれたいて、小説後半の展開を読者に予告する働きをしているのだが、決してそれだけに留まらず、想像力をかき立てられた。

『鉄砲屋』
  素朴な生活を営んでいた小国家が、突然ヘリコプタでやって来た大国の鉄砲商人に乗っ取られていく話。かなり政治色の強い作品であり、終戦直後の時代背景が強く現れているものの、ユーモアも十分なので、深刻さはさほどでもなく、救いがある。

『イソップの裁判』
 珍しくユーモア性が殆ど皆無の寓話。たまにはこういうのもよい。ところで、本作品集の中には、神話、聖書などを連想させるキャラクタが登場することが多いのも特徴。

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『無関係な死・時の崖』

昭和30年代の短編集。後の名作群への予感が垣間見える。

『夢の兵士』
  第2次世界大戦中の山村を舞台にした短編。次のような印象的な詩で作品は幕を開ける。

夢も凍るような 寒い日に 私はこわい夢を見た
夢は帽子をかぶって出ていった 昼下がり

叙情的な作品である。また、個人と共同体との関係がメインテーマであるところに、中期以降の安部作品の特徴が強く現れている。

『誘惑者』
 短編ミステリのような趣向をもつ作品。本作での「追うもの」と「追われるもの」の関係は、後の名作『燃えつきた地図』などに共通するテーマである。

『家』
 家族とは何かというテーマを、ユーモラスに、かつちょっとグロテスクに描いた作品。

『使者』
  火星人を自称する男が主人公の前に現れ、援助を申し出るが、その男の外見は余りにも地球人そっくりであった。主人公はその男を警察に突き出すが…… 安部公房らしさが分かりやすい形で現れた作品。 

『透視図法』
 この短編はさらに3つの部分に分かれていて、一見では関連性が見えづらい。後の『箱男』を(メインテーマを異にするとは言え)思わせるような前衛的な構成を持つ作品。

『賭』
 建築家である主人公の元に、奇妙な構造の社屋の建築を依頼する広告会社社長が現れ、困惑する。実際に会社を訪れた主人公が見たものは……
安部作品独特の不条理性と共に、現代の企業社会へのちょっとした風刺もこめられた作品。

『なわ』
 屑鉄置場で遊ぶ子供たちをある意味リアルに描いた作品(と書いておこう)。私自身の幼い頃、廃墟と化した建物を探検した記憶を呼び起こされる。また鮮烈なラストシーンは心に残る。個人的に大好きな短編。

『無関係な死』
 ある日、身に覚えの無い死体が突然アパートの自室に現れる。何とかして死体の存在を消そうと奮闘するが…… 短編集の表題作にふさわしい、安部公房的不条理性に溢れた秀作。

『人魚伝』
  沈没船で見つけた“人魚”の美しさに魅せられた主人公が人魚を自室で飼育し始めるが、実は……  前述した「追うもの」と「追われるもの」の関係をテーマにした安部らしい作品。

『時の崖』
  試合中のボクサーの意識を1人称の語りだけで描いた冒険的な作品。特に不条理な設定があるわけでなく、その意味では平凡なのだが、鬼気迫るほどの徹底した描写力に引き込まれる。主人公の人生に同化したかのような一体感をも感じさせてくれる印象的な作品。

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『死に急ぐ鯨たち』

貴重な評論集。「ことば」に全才能を捧げた文豪の情熱。

 安部公房の小説・戯曲以外の評論、エッセイ、インタビューを集めた作品集。この種の書籍は余り多くないので、貴重である。

 前衛的小説家と呼ばれる安部公房であるが、小説世界から離れた言動は決して奇抜なものではない。むしろ常識的な家庭人としての側面も垣間見える。また、国内よりも海外で高い評価を得ているにもかかわらず、他の同時代人に劣らぬほど日本の将来を憂いている(もちろんその方法論は独自のものだが)。同じく前衛文学の巨匠であるF.カフカが生涯孤高の創作者であったのとは 対照的である。

 さらに、1人の作家としての文学への拘りを伝える凄味のあるエピソードも残っている。本作には直接関係ないのだが、数年前の読売新聞に次のように書かれていた。
 安部公房氏が読売文学賞(氏自身2度にわたって受賞)の選考委員をしていたとき、気に入った作品には原稿用紙十枚以上(だったかな)にも亘る選評を用意する一方で、気に入らない作品には、一言「つまらん」で終わらせたとか。

 このような安部氏が社会や文明の評論を試みると、「ことば」から眺めた視点が中心になるのは必然である。この視点は一見一面的に思えるかも知れないが、実際に読んでみるとなかなか説得力があり、的確なのである。「ことば」こそ、人間を他の生物とは大きく異なる存在たらしめる最大の要因だからであろう。例えば作品集の冒頭に置かれた「シャーマンは祖国を歌う」は、まさに「ことば」による文明批評そのものである。その中で、立法、行政、司法に教育を加えた“四権分立”が望ましいと主張していることは興味深い。2番目に配された「死に急ぐ鯨たち」と共に、安部氏が世界の行く末に寄せる多大な関心と、文学者として閉塞的な状況を打破したいという情熱がひしひしと感じられる会心作である。その他、中盤に置かれた一連のインタビューは、『密会』『方舟さくら丸』などの小説への好個の解説になると共に、安部氏の具体的な執筆方法論や、影響を受けた作家(ドストエフスキーやポーなど) への言及も興味深い。実際に本作品集を手にするのは、既にいくつかの小説代表作を読了した人が多いと思うが、逆にこの本によって安部氏の人物像に触れてから小説等の創作に触れるのも悪くはないと思う。

 また、最後に配された「核シェルターの中の展覧会」では、音楽、美術、文学の芸術としての性質の違いが“デジタルとアナログ”というキーワードから論じられ、まさに本作品集のクライマックスと呼べるであろう。

 ところで、安部式の自動車タイヤチェーンなるものが存在し(養老孟司氏の解説で初めて知った)、自身数学好きと公言するなど、安部氏は理系的才能にも恵まれている。このことは作品の論理性に寄与するところ大だと言われるが、表面的には現れていないのがこれまた凄い。ともかく、これほどの才能を持った人が文学にほぼ全能力を注いでいることからも、やはり安部公房という作家は、日本ではなかなか得がたい貴重な存在であると思うのである。

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『砂の女』

世界的名声を確立した作品。完成された物語構成と社会性・多義性。

 1962年に刊行され、読売文学賞を受賞した本作は、世界の二十数カ国に翻訳され、安部公房の世界的名声の確立に最大の貢献をした作品であることは間違いない。

 昆虫採集のために砂丘に出向いた一人の教師は、部落の老人の紹介で、砂に掘られた深い穴の中の一軒家に招待される。一泊で帰るつもりが、夜が明けると地上への縄梯子は撤去され、閉じ込められてしまい、未亡人との共同生活が始まる。男はあらゆる手段で脱出を試みるが、悉く失敗に帰す。そして結末は…

 この作品が世界的な名声を得るに至った理由を列挙するのは難しくない。物語としての完成度の高さ、サスペンス性、文章の読みやすさ、的確な比喩。これらについては、既に文庫版の解説でドナルド・キーンが指摘している。ミステリやラヴ・ストーリーとして読むことも可能である。加えて、多くの安部公房作品の読解の鍵となっている「個人対共同体」のテーマが全面に出ている作品であることも見逃せない。
 とは言え、果たして名声の原因はこれだけなのだろうか。

 私が本作を初読したのは高校時代であるが、そのときは、正直言ってこの作品がそれほど凄いとは思わなかった。『箱男』や『密会』のように派手な仕掛けがある作品の方を好む傾向があったからだろう。確かに面白いことは面白いのだが、“ごく普通の面白さ”ではないかと思ったのだ。
 ところが、この度感想文を書くために再読したところ、そのような印象は覆された。やはり『砂の女』は凄い。

 具体的には、次のようなことである。
 普通、砂の穴の底に埋もれていく家に閉じこめられるのは嫌なものである。明らかに部落の人間が行っていることは不法監禁に他ならない。高校時代の私は、主人公の男の立場をそのような見方のみで捉えていたようである。しかし、少し見方を変えてみるとどうなるだろうか。例えば、

 詳述するとネタばれになりそうなので差し控えるが、読み手が少し視点をずらすだけでこの小説は全く違う姿を読み手に見せてくれるように思うのだ。すなわち、優れた寓話性と多義性である。本作は『箱男』や『密会』とは異なり、視点や時制を歪めるような前衛的な手法は用いていないが、それでも20世紀文学ならではの魅力を十分に兼ね備えている。美術にたとえると写実的な手法で描かれた騙し絵のようなものかも知れない。(もとより本作は「ことば」によって描かれた芸術であるから、絵画にたとえるだけでは全く不十分なのだが…)

 ともかく、『砂の女』は、誰よりも「ことば」にこだわり続けた名匠・安部公房の魅力が最もわかりやすい形で開花した貴重な小説と言えるだろう。

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