* ここから、当分の間はフィクションです。実在の人物・団体とは無関係です 。
R大学商学部の内田直志教授の家は、G駅の西口から徒歩5分、やや急な坂道を登りきった場所にある。私は教授から受け取ったファクスの地図を頼りに教授宅に向かっている。坂道は周囲を濃厚な緑に囲まれ、駅前の喧騒が嘘のように静かだ。都心に近い一等地のG駅のごく近くにこれほど閑静な場所があるとは知らなかった。
午後1時、目的地の教授宅の前に辿り着いた。60坪程度の敷地に木造2階建ての家屋。外装は周囲の緑の保護色かと思うような緑色。なかなか斬新なデザインで、渡辺篤史「建もの探訪」に出演してもおかしくない感じだが、詳述すると長くなるし、今回の事件の解決にも無関係なので省く。今回の事件に関係あるのは家の外見では無く、中身なのだ。インターホンを押すと、教授の奥さん(初対面だが、清楚な感じでなかなか綺麗な人だ)の案内で、早速1階の玄関脇の応接室に通された。
ここで自己紹介を挿入しておく。“私”の名前は本川智。株式会社『キッズ・ファクトリー』で営業の仕事をしている。2年前までは商品開発部でベビー服担当部門の責任者をしていたのだが、部下の社員を引き連れての慰安旅行で起きた殺人事件により、最終的には部下が誰も居なくなってしまいベビー服担当部門は空中分解。仕方なく営業に回され、現在は細々と仕事をしている身である。その殺人事件については「解は水色」に書いておいた。とは言え、これからお伝えする事件は2年前の殺人事件とは直接には無関係であることを保証しよう。そもそも、殺人も傷害すらも起こらないのだ。いわゆる“人が死なないミステリ”である。
さて、内田直志教授と私との関係、及び教授宅に私が呼ばれた経緯について触れておこう。内田教授は、私の大学時代のゼミの指導教官である。当時は助教授だった。私が卒業、就職した後の約9年間、全く連絡を取っていなかったのだが、つい先日、唐突に教授から手紙が来たのだ。手紙の内容の要旨を次にまとめておこう。
教授には4歳になる娘・桃果ちゃんが居る。この娘さんはなかなか利口で、まだ小学校に上がらない年齢にもかかわらず、大人向けの推理小説を読むのが大好きなのだ。先日、母親(つまり教授の妻)の裕子さんの誕生日に、桃果ちゃんは突然次のように宣言したのだそうだ。
「お母さんの誕生日に推理クイズをプレゼントちます。私は、お母さんが大事にしているダイアの指輪を家の中のある所に隠ちまちた。2週間以内に見つけてください。見つけられたら、今後1年間お母さんの言うことは何でも聞きます。お手伝いでも肩たたきでも何でもちます。でも見つけられなかったら、お母さんの指輪を私がもらいます。隠し場所のヒントを2つ言います。1つ目、“モモ色”の物の中に隠ちまちた。2つ目、その物はヒトが身に着ける物ではありません」
何とも変わった娘さんである。 普通ならば「何を馬鹿なことを言ってるの」とたしなめるところだろう。ところが余りにも桃果ちゃんのヒントが具体的なので、すぐに見つかるだろうと高を括って、裕子さんは話に乗ってしまったのだそうだ。ところが、家の2階にある桃色の物を全て調べてみたのだが、全然指輪が見つかる気配は無い。焦った裕子さんは教授に手伝ってもらって探してみたのだが、やはり見つからない。
そこで、教授が私に助けを求めてきたのだ、2年前の殺人事件の際、私の推理が事件の解決に大きく寄与したことを聞き及んでいたらしい。
場面を応接室に戻す。周囲を一通り見渡してみたが、この部屋には桃色の物はありそうにない。ソファーは本革製と思われる茶色。テーブルはガラス製で白いレースのテーブルクロスが掛かっている。広い庭に面したカーテンの色はアイボリーだ。カーペットは高級感溢れるエレガント柄だが、桃色の要素は見当たらない。
奥の部屋から教授が出てきた。会うのは9年ぶりだ。教授とは簡単な挨拶に留めた。既に手紙でかなり詳しい状況を伝えてもらっているので、こちらから質問することは殆どない。それより、今回の事件の主役である桃果ちゃんに早く会いたいものだ。