蘇部健一とは…ミステリ作家。1961年生まれで東京都出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。全ての刊行作品はこのページに網羅されています。 BGM(別窓が開きます)
1997年に第3回メフィスト賞(メフィスト賞についてはサイト「ミステリー'z」内に詳しく書いてあります)を受賞した連作短編集。蘇部健一にとって、公に刊行された初めての単行本です。
発表当時、この作品には激しい賛否両論が巻き起こったと聞いています。本稿では、日本ミステリ史に残るこの論争のことを“とんかつ論争”と呼ぶことにしますが、どちらかというと否定的な声の方が多かったようです。評論を数多くこなしているミステリ作家の笠井潔が『ゴミである』と断定したのを筆頭に、『おやじギャグが寒い』『推理ゲームに等しい』『トリックがTVなどからのパクリ』『文章が下手』などの意見を現在でもweb上でよく見かけます。
私自身、1997年当時はミステリ読みから離れていたのでリアルタイムではとんかつ論争を体感していません。初読は2001年。論争が存在した問題作であることを承知の上で、ただしそれ以外の予備知識なしで、読了してみたところ…
これは案外(いや、かなり)面白い!(ただし読む人を選びそう)
短編集である以上、作品の当たり外れは勿論存在しますが、全体としては非常に面白く読めました。その証拠に、全ミステリ短編集の中での個人的再読回数は(ホームズものを別格とすれば)第2位だと思います。正確に数えたわけではないですがね。ちなみに第1位は『亜愛一郎の狼狽』(泡坂妻夫/創元推理文庫)です。かように、『六とん』は私の心をガッチリと捉えたわけですが、それは何故でしょうか。この疑問には、先に挙げた様々な否定的意見への反論(?)の形で答えていきたいと思います。
ここまで書いてきて若干不安になってきましたが、私にとっては非常に面白かったことは揺るぎない事実です。私的満足度が8点なのは、作品の当たり外れが結構激しい(短編集の宿命でしょうか)と思えたからです。とはいいつつ何度も何度も読み返しているのですから、記録よりも記憶に残る作品集であるとも言えるでしょう。
最後に、集中で面白かった方の作品をいくつかリストアップし、簡潔な感想を付します。
以上5作は私の主観で選んだに過ぎず、web等を見る限り、表題作「六枚のとんかつ」や、「丸ノ内線七十秒の壁」の評価が結構高いことを付記しておきます。ん?そう考えるとやはり傑作揃いの短編集なのか?
前項で述べた『六枚のとんかつ』に、作者自身が文章の推敲を施し、いくつかの作品をカットもしくは大幅改変した上で、未発表作を3編加えた作品集。要するに、ノベルズ版の単純な文庫化ではなく、ディレクターズ・カット版という位置付け。ですから、ノベルズ版とは別の作品集として扱うことにしました。
まず第1に目立つのは、文章が練り直されていること。これによって、読みやすくなったと感じる人も当然いるでしょうが、初出時の野性的な魅力(?)が若干失われたような気がするのは私だけでしょうか。「『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』を読んだ男」にも解決部分が加筆されてしまいましたし、よく見ると、一部のギャグも割愛されていたりして、個人的にはちょっと残念。しかし、新たに「オナニー連盟」(凄いタイトルだ)などが読めるのは嬉しい限りです。
双子の美人姉妹のアリバイ崩しに挑む長編の表題作をはじめとして、倒叙もの短編2作も併録された作品集です。
前作『六枚のとんかつ』では、いわゆる“バカミス”的な効果をあえて狙った感がありましたが、表題作の長編では、正統派の時刻表ミステリに挑んでいます。とは言え、くだらないギャグも健在で、楽しませてくれます。ということは、ギャグを受け付けない人にはお勧めできない作品、ということになるかも。相変わらず読者を選ぶ作風です。また、長編になると、文章の読みにくさが若干マイナスに作用して、ラスト近くの驚きが若干減じてしまっているかも知れませんが、作中のトリックそのものは、さすがidea generator蘇部健一の面目躍如と言えるでしょう。
しかも、併録された短編2作、とりわけ「指紋」は、ギャグとかを一切抜きにして、普通の意味で面白かったのでした。
上で感想を書いたノベルス版に大幅に手を加えて出版された文庫版です。
表題作の長編は、何と100枚近く削ったとのこと。しかもそれでも殆ど内容が変わっていない、というのが蘇部氏ご本人のおことば。早速ノベルズ版と読み比べてみました。削られた箇所の殆どは、メインのトリックやプロットと無関係なギャグでした。この試みは、本格的なアリバイ崩し長編を指向した本作においては大正解だと思います。とても読みやすくなりました。
その一方で、世評の高かった短編「指紋」にはノベルズ版には無かった結末を加筆。その結果、ラストの切れ味が鈍ってしまいました。これは私がそう感じたのみならず、蘇部健一自身があとがきでそのように書いています。なんと言うことを…、と文句をつけたくなるところですが、ご本人が文庫版のラストをお気に召しているようなので、仕方のないところです。このことから推測するに、蘇部健一の感性は基本的にかなりマイナー指向なのではないでしょうか。多くの人が面白いと思うことの逆をあえてやってのけてしまう、そんな不器用さをもひっくるめて、私は蘇部健一の作品が大好きなのです。
個人的には、「あとがき」の書き出しに惹かれて、ノベルズを所持しているにもかかわらす購入を決意した次第です。その書き出しを引用してみます。
「出来の悪い二時間ドラマをお届けする」
これはノベルズ版の出版時に実在した評価らしいのですが、当文庫版に限って言えば決してそんなことはないと思うのです。書き直しによって全体的な完成度は大きく上昇したと思われます。ノベルズ版には無かったボーナス・トラック「乗り遅れた男」が収録されていることから考えても、蘇部ファンならば「買い」でしょう。
画期的連作短編集『六枚のとんかつ』から4年が経過した2001年、蘇部健一が満を持して世に送り出した。新しいアイデアの短編集です。全ての作品が倒叙形式、すなわち、まず犯罪実行過程を犯人の視点から克明に描き、その後、些細なミスや手がかりから捜査側に真相を見抜かれてしまう過程を描くというスタイルです。倒叙と言えば、一般には刑事コロンボが有名ですね。この『動かぬ証拠』収録作品では、完全犯罪が破綻するきっかけとなる証拠が、各作品のラストに配されたイラストで描かれるという、極めて独創的なアイデアが用いられています。やはり蘇部氏のidea generator振りには敬意を表します。
しかも、『六とん』の頃から比べると文章はかなり流麗になってきているのがよく分かります。個人的には、おやじギャグ的な要素が薄まったことに物足りなさを感じると共に、イラストへの依存度が高く、ラスト以前の伏線がきちんと書き込まれていないという不満はあります。しかし、それでも結構楽しめました。
蘇部氏の作風は、当初の『六とん』に代表される独自のユーモア・ミステリ路線から、より万人に認められるような路線へと変化しつつあるように思えます(もちろんこれは文章の練達があってこそ出来ること)。本作は、その過渡期に位置する作品集だと言えるのではないでしょうか。
上記の『動かぬ証拠』の文庫化。前2作の文庫化の際とは異なり、改変箇所は数える程度に留まっています。最初から構成的にも文章的にも十分に成熟していた証拠と言えるかも知れません。
ノベルズ版との大きな違いは、「黒のフェラーリ」がカットされた代わりにボーナストラック「サム・スペードの憂鬱」が1つ追加されたこと、そして、ノベルズ版には無かったあとがきが書かれていること。ファンにとっては、あとがきだけでも読む価値ありでしょう。また、イラストも一部書き直されています。
藤岡真氏による「解説」もタメになります。特に、蘇部さんが本格ミステリ界の“巨人”であったことという事実に、個人的には興味を惹かれました。
2002年に刊行された講談社ノベルズ「密室本」シリーズの1つ。実際、本作では鏡の迷路という独特の密室で起こった殺人事件が起きます。密室殺人の解決への興味と共に、随所で主人公の前に現れる、顔を包帯でぐるぐる巻きにした「ミイラ男」は何者なのか、という興味でも読者を引っ張っていきます。
本作では、デビュー当時から一貫している蘇部氏の独創的なアイデアの魅力と、デビュー当初に比べて遙かに洗練された文章の魅力とがうまく融合しています。尤も、登場人物の台詞のわざとらしさやワンパターンさが完全に払拭されたわけではないですが、もはやそれらはこの作家の持ち味の1つと思えば、大して不満ではありません。というか、この作品は、『六とん』を受け付けなかった人にも受け入れられる要素を多分に持っていると思うのです。その意味で、蘇部健一の代表作の1つに数えられるのではないでしょうか。
また、真相究明のための手がかりが解決部分以前に確実に描かれているのも、本格好きとしては、嬉しい限りです。
そして、本作の最大の特徴と言えるのは、要所要所に里中満智子さんのイラストが配されていること。前作『動かぬ証拠』でもイラストが用いられていましたが、効果的な活用、という意味では、本作の方が遥かに上でしょう。雰囲気を盛り上げてくれる効果のみならず、伏線の一部を読者に明示するという本格ミステリならではの役割も担っています。それだけでも十分なのですが、idea generator蘇部氏は、更なる驚きを読者に提供します。本文終了直後に配された1枚のイラストの意味(これには気付かない方も多いでしょうが)には脱帽。かつて『火刑法廷』という作品で世界のミステリファンを驚かせた巨匠ディクスン・カーの再来、は言い過ぎでしょうか。多分言い過ぎでしょう。でも、少なくともミステリへの情熱に関しては、カーに匹敵すると思います。
#追伸 ラスト1ページのイラストの意味については、長い間解明出来ずにいました(ファンとしては恥ずかしい限り)。だいぶ後になってから気付きました。よって、前段落の該当箇所も、後日追記したことになります。原則的にネタバレはしない方針なのですが、特別にヒントを書いておきます。イラストの人物が右の耳たぶに手をやっていることに着目してください。更に、登場人物紹介ページのイラストと、本文P.26を参照してください。
2003年、蘇部健一氏はついに児童文学で有名な講談社青い鳥文庫から作品を出版しました。有名、と書きましたが、それまで私は青い鳥文庫の存在を知りませんでした。本書の発売の報を聞き、何とか入手したいと書店の文庫売場を探したものの置いてある店は一軒もなく、ひょっとすると余りの人気に品薄状態か、とも思ったのですが、実は児童書売場に置いてあったのですね。しかも“文庫”とは名ばかりの新書サイズ。これから購入する方は気を付けましょう。
内容の話に移ります。読み始める前は、児童文学という制約の中で蘇部氏の持ち味が損なわれるのではないかという危惧を抱いていましたが、実際は全くの杞憂でした。何せ、主人公のアキラと新任教師稲妻先生との出会いの場はレンタルビデオ店。美人女教師が少年に色々と指南する「個人レッスン」という名のビデオを借りようとしている小学生アキラ。稲妻先生は「ロリータ」と名の付くビデオに大人の女性が出演していることで店員に文句を付けている(笑)。物語の冒頭を飾るこのシーンを見るだけで、過剰なまでのキャラクタ造形や、B級コメディを思わせる(褒め言葉)雰囲気等、蘇部作品の特徴が存分に展開されていることがわかります。ファンにとっては十分に“買い”な作品であることは間違いないでしょう。
無粋な突っ込みを1つだけ。一般の小学校5年生男子は性的な興味をこれほどには持たないと思う(∵余り溜まらないから)のですが… 一方、ロリコン好きの小学校教師の存在は納得がいきます(おいおい)。
もちろん、ミステリ的な要素も(大人向け作品に比べれば控えめかも知れませんが)ちゃんと入っています。蘇部本名物の1つである自虐的あとがきも健在。特に今回は子供向けに書かれているので、情けないおじさんモード全開な文章になっているのが笑えます。
ところで、『ふつうの学校』というタイトルに不満を感じるファンの方もいらっしゃるのではないでしょうか。サブタイトルの「稲妻先生登場」の方が良いという考え方もあり得るでしょう。しかし、この素っ気ないタイトルに蘇部氏の深いメッセージを私は感じるのです。つまり、ここに描かれた教師像や生徒像こそある意味で学校の「ふつうの姿」なのだ、とのメッセージです。教師は決して聖人君子ではなく欠点だらけの人間であること。子供は無垢な天使でもなく、無限の可能性を秘めた存在でもないということ。皆、それぞれに人間関係に葛藤し、ときには外見や才能に対し絶望的なコンプレックスを抱いている。作中、稲妻先生による次の台詞は印象的です。
「立派な人間が教師になるって? 冗談じゃない。実際はその逆だ。何も為すことができない最低の人間が教師になるんじゃないか。いいか、ふつう才能があったら教師なんてやるか? 才能があったら、教師なんてやらずに、社会に出て、金持ちになった方がいいじゃないか。でも、才能がない人間は成功なんてできないから、しかたなく教師になって、生徒に成功のしかたを教えるってわけだ。成功のしかたも知らないくせにな」
この名言(?)をテーマに作文を書いたり、議論したりするのは案外教育的かも知れません。小学校の授業にいかがでしょうか?
以上、縷々述べてきました通り、本作は、ファン必読の書であると同時に、気軽に読めるユーモアミステリとしても、他とはひと味違う児童文学としても、注目に値する作品だと思うのです。
児童文学で有名な講談社青い鳥文庫のシリーズ第2作。主要登場人物は、上で紹介した前作『ふつうの学校』と同じ。特徴もそのまま受け継いでいます。破天荒な児童文学ですが、シリーズ化されたということは、商業的に一定の成功を収めたのでしょう。
今回は私的満足度評価を前回より1点引きました。その理由は、ミステリ風味が前作に比べて薄味であったことと、稲妻先生の名言(?)が聞けなかった(見られなかった)こと。とは言え、このシリーズにこんなことを求めるのは筋違いなのかも知れません。
でも、よく読めば、実は今回も稲妻先生は大活躍。たとえば、第1章で主人公のアキラに稲妻先生が歯を磨くように指導する際のセリフ。詳しくは書きませんが、アキラの性格をよく把握した上で、彼に伝わりやすい論理で丁寧に指導しています。結構いい先生じゃない!と私は思いました。この辺りは、児童文学としてのツボを結構押さえています。
ところで、購入時のノベルズに挟み込まれていた講談社の「青い鳥通信」に、蘇部さん自身による紹介文が載っています。本作の特徴を見事に象徴する文章なので、引用させていただきます。
この小説の主人公アキラは、女の子と話をするのがものすごーく苦手な男の子です。ところが、今回彼は、なんと三人の美少女と仲良くなることに成功します。でも、調子に乗りすぎて、ブラジャー泥棒の疑いをかけられてしまいそう。
バッカだなあ……。
私に言わせれば、サブタイトルにもなっている「ブラジャー盗難事件」の章を本書のラストにもってくる蘇部さんこそ「バッカだなあ」です。言うまでもなく「バッカだなあ」は最高の褒め言葉ですよ。ちなみに、「あとがき」は相変わらずの面白さです。
2004年4月に刊行された長編。『ふつうの学校2』から僅か2か月足らず。過去、蘇部氏の作品がこれほどのハイペースで出版されたためしはありませんでした。プロの文筆家としての熟練の証ではないでしょうか? 実際、本作では、過去の蘇部作品には無かった試みが色々となされています。
まず、タイトル『届かぬ想い』と表紙絵の美しさに驚きました。更に、帯の煽り文句
時を超えられるなら、愛する人を助けますか? たとえ何が起ころうとも…
には打ちのめされました。今までの蘇部作品とは“何か”が違う! しかも、表紙カバー見返しの作者のひと言がありませんし、笑わせてくれる「作者あとがき」もありません。内容面でも、まさに新境地。前半を読めばわかりますが、東野圭吾、北村薫、宮部みゆき等の諸氏が書いているような、“世間で最も売れている”類のミステリを意識したつくりになっています。粗筋を書いてみます。
主人公の小早川嗣利は妻子持ちの二枚目な男性。ところが、9歳になる娘がある日突然失踪し、妻も死亡。更に、数年後に再婚した2番目との妻の間にできた娘も不治の病になるなど、立て続けに不幸に見舞われる。そんなとき、主人公の前に「タイムマシン」を発明したという老人が現れ、未来へタイムトリップして薬を入手することを提案。老人を信用した主人公は、タイムマシンに乗り込み……
主人公に降りかかる連続的な悲劇は、東野圭吾氏の『変身』『秘密』等の作品群を思い起こさせますし、時間旅行の概念は宮部みゆき『蒲生邸事件』にありました。
しかしながら、これらの先行作品と蘇部氏の『届かぬ想い』には決定的な違いが2つあると思います。1つは、登場人物の詳細心理描写の有無です。この種のサスペンス風ミステリでは(特に宮部みゆき氏の作品に顕著なのですが)様々なエピソードを挿入して登場人物の心理を浮き上がらせる手法を用いるのが常であり、多くの読者はそういうのを好むのでしょうが、『届かぬ思い』には、そんな描写は一切ありません。個人的には、心理描写を長々と読まされると退屈する方なので、蘇部氏の行き方を支持します。
2つめの相違点については、結末に関わることなので詳しくは書けません。宮部、東野作品では得られない類の読後感である、とだけ書いておきます。むしろ他の作家の某小説に近いものがありますが、具体的に名前を挙げるとネタバレになるので控えます。
ところで、タイムマシンを作った老人が登場した辺りで、ひょっとして藤子不二夫(A)『笑ウせえるすまん』ぽくなるのか? と不安になってしまいましたが、杞憂でした。結末を読んで感じたのは、ここまでやるか、という驚愕と、蘇部さんの“ミステリ”に対する愛情は本物だなあ、という確信でした。伏線の緻密さは見事だと思います。
以上の通り、蘇部さんはこの作品で新境地を拓いたわけですが、蘇部さんらしい細かいギャグは健在なので、ファンとしては嬉しい限りです。あと、蘇部ミステリの解決編でいわゆるワトソン役の人物が頻繁に発する「あっ…」という合いの手も健在。ただし、本作では前半の16pで早くも登場します(これには深い意味があるような気がしたのですが、私の思い過ごしでしょうか)。そして、講談社ノベルズでお馴染みの、「もっといい服を着るだろ、普通」と突っ込みたくなるような著者近影も健在。こんな作品を書いた後に著者近影がコレですか?
2005年6月に刊行された講談社青い鳥文庫の人気(?)児童文学シリーズの3作目。3作目ということで、レギュラー登場人物のキャラクタも定着し、蘇部さんの筆は流麗かつ手馴れた感じです。
羽住都さんの絵は、今や蘇部さんの本には欠かせないものになっていますが、表紙がアキラではなく、美人で空手3段、柔道2段のルイ先生なのは何か意味があるのでしょうか?
今回は、章ごとに短い感想を書くことにします。
2005年10月に刊行された短編集。アホバカトリックで賛否両論巻き起こしたデビュー短編集『六枚のとんかつ』の続編かと思わせるタイトル。確かにその種の作品も含まれていますが、最初の3つのみ(目次では「グループA」)。「グループB」に属する4作品は『動かぬ証拠』シリーズ、「グループC」に属するグループCはノン・シリーズということで、全体的には『六枚のとんかつ』とは全く異なる味わいに仕上がっています。
デビュー作のような強烈なネタを期待して読み始めた私は、やや肩透かしを食らった気分になりましたが、読了後は、これはこれで良いと思い直しました。一般に、作家の作風は年月とともに変わるものです。最近の蘇部氏は、かつての破天荒さが薄れた代わりに、成熟の味わいが滲み出ているような気がします。
結局、デビュー作と同等の高い私的満足度としました。
以下、各収録作品について簡潔な感想を書きます。
蘇部健一作品のディープなファンなら、『恋時雨』というタイトルを目にした瞬間にハッとしたのではないでしょうか。私は2006年7月の時点で、蘇部氏の最高傑作は本格タイムマシンミステリ『届かぬ想い』だと思っています。その『届かぬ想い』の中に『恋時雨』という小説のタイトルと簡単なあらすじ(やはりタイムマシンもの)が登場していました。その『恋時雨』が蘇部氏の筆によって日の目を見たとなれば、見逃すわけにはいきません。
帯に書かれた粗筋を引用しておきます。
昭和30年の辻村琴美と2005年の森谷香織──。愛してもいない許嫁からの求婚に時を超え、同じように悩むふたり。そんな彼女たちの前に見知らぬ青年が現れたことで、ふたりの運命が音をたてて、回りはじめた──。やはり、『届かぬ想い』同様の“時を超えるミステリ”。近年の蘇部氏は、この種の作品を多く発表していて、どれも水準以上の面白さに達しています。
とは言え、紛れも無い本格ミステリであった『届かぬ想い』と比べると、恋時雨はエンタメ寄り。殺人事件は登場しませんし、読後感も全く異なります。『届かぬ想い』の読後感が気に入らなかった人でも、『恋時雨』なら納得できる可能性があります。一部の人から酷評されたらしい『届かぬ想い』に対する、蘇部氏自身による一種のアンサーソングのように感じられました。
『届かぬ想い』的読後感が大好きな私にとって、ラストは幾分刺激が足りないようにも感じましたが、これはこれで良いです。しかも、結末に繋がる伏線の散りばめ方の丁寧さは、これまでの蘇部作品中で随一ではないでしょうか。蘇部氏があとがきで開口一番「自信作です」と書いていたのも頷けます。
残念なことは、本作が講談社のノベルズや青い鳥文庫に比べて知名度の低いYA! ENTERTAIMENTからの発売であったこと。並んでいない書店も少なくありません。『届かぬ想い』の中の『恋時雨』はベストセラーになりましたが、こちらは無理ではないかと。
2007年5月に刊行された短編集。アホバカトリックで賛否両論巻き起こしたデビュー短編集『六枚のとんかつ』の続編かと思わせるタイトルですが、デビュー作のキャラが登場する作品は1作のみで、ノン・シリーズものの割合が『六とん2』に比べても増えています。デビュー作や『六とん2』に比べて私的満足度を1点引いているのは、度肝を抜くような作品が見当たらなかったためです。とは言え、デビュー作の頃に見られたような明らかな文章の稚拙さなどはすっかり影を潜め、益々円熟味を増した蘇部氏の短編ミステリが読めるのはファンにとって嬉しい限りです。
通読して印象に残ったのは、実は蘇部さんはラストの数行での“どんでん返し”の技術に長けているのではなかろうか、ということです。尤も、蘇部さんの場合は不幸な境遇の主人公を更にどん底に叩き込む類のどんでん返しが多いわけですが……。過去の作品にもそのような趣向は盛り込まれていましたが、『六とん3』収録作の幾つかではより洗練された“どんでん技巧”を見ることができます。
では、各収録作品について簡潔な感想を書いてみます。