私が遊戯室に降りたとき、他の社員は既に集まっていた。無論、オーナーは厨房で食事の支度中のはずだが、その点は誰も確認していない。折り畳み式の卓球台が部屋の片隅にあったので、私はゴンとトムに命じて台をセットさせた。実は、私は温泉卓球(ということばがあるかどうかは知らないが)の達人なのだ。意気込んで臨んだのだが、どうも他のメンバーは卓球に興味がほとんどないようだ。私はやりたくもないことを無理にやらせるような上司ではない。企画倒れの予感がしたときに、ゴンが助け船を出してくれた(義理でかも知れないが)。
「チーフ、僕と3セットマッチでもしましょうか」
私は辛うじて面子が保てたことに内心安堵しつつも、思わず皮肉っぽく問い返した。
「へえ、お前卓球なんかできるのか」
「昔、高校の授業でやったことがある程度で、とてもチーフには敵わないと思いますが」
こうして、私とゴンとの卓球勝負が始まったが、ゴンは意外に強かった。接戦の末、1セット目を先取された。この間、トムとルイは例によって部屋の片隅でいつものように何やら会話をしていた。ミカは1人で静かに──1度だけ突然次のように叫んだときを除いて──テレビを見ていた。
「うっそー、ここって民放テレビ局が1つしかないの? でも『お笑い老若男女』は夜8時からやってるんだね。東京と同じだ」
第2セット開始。相変わらずゴンに押され気味で、立て続けに6ポイント取られてしまった。ところが、その頃からゴンにミスが目立ち始め、最終的には何とか逆転勝ちで、セットカウント1対1のイーブンに持ち込めた。この間、ミカは相変わらず1人でテレビを観ていた。ちなみに、テレビは北に面した大きな窓の前に鎮座している。トムとルイは途中から2人で部屋の外に出ていってしまった。大方、2人で外を散歩しているか、どちらかの部屋に行っているのだろう。
第3セット開始直前、美形の中年紳士であるオーナーが入ってきた。時刻は17時10分。
「食事の支度は大体終わりましたので、私も皆さんのお仲間に入れて頂こうかと思いまして。おや、喬君ともう1人のお嬢さんがいないですね」
「多分どちらかの部屋に2人でいるんですよ」
応えたのはミカだった。オーナーは少し意外そうに質問を重ねた。
「へえ、喬とあのお嬢さんはつき合っているのですか」
私は2人のやりとりに心を奪われていたのだが、その質問に対するミカの返答を聞くことができなかった。ゴンが第3セットの開始を促したからである。
「チーフ、始めましょうよ」
試合開始。ゴンは調子を取り戻したようで、第1セットと同様の接戦、というより私がやや押され気味。何という身軽なデブ。しかし、私は彼には負けたくなかった。温泉卓球の達人のプライドからではない。普段から、一流大学の院(しかも理系)を卒業したゴンの能力には一目置かざるを得ないと思っていた。彼は様々な知識を豊富に持っている。もちろん、専門の工学知識を生かせる機会はないのだが、専門外であるはずの日本経済や会計処理について、地方国立大の商学部出身の私よりもよく勉強しているのだ。彼を見ていると、生来の頭の良し悪しなるものの存在を痛感させられる。だから、せめて卓球では負けたくない。
おそらく第3セットの私は必死の形相をしていたに違いない。幸い、ギャラリーは誰もいなかった。というのは、後から入ってきたオーナーとミカは卓球そっちのけで会話を始めたからである。一方のゴンは余裕の表情。私は徐々に差を詰め、土壇場で逆転。最終的には第3セットを取り、セットカウント2-1で勝利することができた。時刻は17時35分。
「ゴン、なかなか強いじゃないか」
「いやあ、最後は集中力が切れましたよ。チーフこそ凄いですね。絶対に手を抜かないって感じで」
深読みすれば皮肉と取れなくもないことば。私が内心ムッとしていたところに、オーナーが割って入ってきた。
「凄い熱戦でしたね」
碌に見ていなかったくせに。更にオーナーの言葉。
「そろそろ食事の準備をしようと思います。どなたか運搬を手伝って頂ければ非常に嬉しいのですが…」
「あ、私手伝います」
ミカが率先して申し出た。2人は遊戯室を出て厨房に向かった。このとき気付いたのだが、ミカはセミロングの髪を桃色のゴムで後ろできっちりとまとめていた。2人と入れ替わりに、トムが遊戯室に戻ってきた。1人で。
「あれ、ルイは一緒じゃなかったのか。そろそろ食事の時間なんだけど」
私の問いに対し、一呼吸置いてからトムが応える。
「しばらく自分の部屋にいるそうです。時間は分かっているはずですから、間もなく降りてくると思いますよ」
遊戯室に残った男3人は卓球台を片付け、食卓をセットした。そこへ、オーナーとミカが次々と食事を運んでくる。我々も運搬の手伝いに参加し、完全に準備が整ったのが午後5時55分。ルイも5時58分に遊戯室へ降りてきた──元気が無さそうな様子がちょっと気がかりだったが。こうして、場面は夕食風景へと転換する。