解は水色

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§8 2002年8月17日 20:02

 ミカとオーナーの密会(?)という意外な事態に、私の胸騒ぎは止まらなかった。『お笑い老若男女』のことなんかどうでもいい、と思い始めた矢先、聞き慣れたテーマ曲が、途中からではあるが、耳に入ってきた。
『♪……があれば、みんなが健康。笑いがあ〜れ〜ば〜 世界は平和♪』
この時点で私はテレビをつけていないので、他の部屋から聞こえているのだ。恐らくはトムの部屋だろう。西隣のゴンは廊下で本を読んでいるはずだし、ミカやルイの部屋では、いくら窓を開けていてもこれほどはっきり聞こえないと思われる。そもそも、彼女たちは今は部屋にいないはず。このとき、私は思わず窓を閉めて、音を遮断した。世界と自分を切り離して孤立したい気分だったからだ。
 5分間ほど何もせずにボーっとしていたが、やがてそれも空しくなり、テレビをつけてみる。すると、私の好きな音楽漫才師「和正&達郎」がちょうど出演していたので、一転、テレビの中の世界へ没頭した。この後、あの運命の音──1人の人間の悲劇的な死を知らせる音──が鳴り響く時間帯まで、私はその場所に独りでいたことを保証する。

『おい、達郎。お前も何か歌ってみなしゃんせ』
『よし、“水戸黄門のテーマ”を歌います』
『はい、“水戸黄門のテーマ”ね。それではどうぞ』
『じ〜んせい ひ〜つ〜じ ひつじ ひつじ』
『それは“メリーさんの羊”だろって』
『何をする!』

 この『お笑い老若男女』という番組は、様々な世代のお笑い芸人が集まり、観客の投票で勝敗を決するという企画を売り物にした生放送の人気番組である。若手を中心としたこの種の番組は前例があるが、時には大御所と呼べる芸人も出演するというある意味斬新な趣向は、生放送の緊張感と相まって、文字通りあらゆる世代に支持され、現在では視聴率が平均で40パーセントを超えるという怪物番組になっているのだ。

『お前は本当に使えない奴だな、俺が見本を見せよう。“まんが日本昔話”』
『いよっ。“まんが日本昔話”』
『ぼうや〜 大原 三千院…』

 そろそろ明かすときが来たようだ.実はこの事件で殺されたのはトムだったのだ.独りで部屋にいたはずのトムを殺すには,当然トムの部屋に入る必要がある.しかし,不思議なことに,8時以降,あの運命の音が聞こえてくる瞬間まで,誰人もトムの部屋の前の廊下を通っていない.このように書くと,「お前はトムの部屋のドアが直接見える場所に居なかっただろう」との突っ込みを頂きそうである.確かにその通りで,実は100パーセントの確信があるわけではない.とは言え,僕は決して注意力が鈍いほうではないから,ほぼ間違いはないはずである.そして,念のために宣言しておこう.僕自身は断じて犯人ではない.

『それでは、クリスタルキングの“大都会”を歌います』
『待ってました。“大都会”』
『あ あ〜 かわのながれのよ〜に〜』

 午後8時30分、運命の音が鳴り響いた。私の部屋のドアをノックする音。私がドアを開けると、そこには風呂上りでしっとりと濡れたショートヘアーのルイが、洗面道具を持って立っていた。
「チーフ、今お風呂から上がりました」
「判った。ご苦労さん」
ルイは自室の方へ向かった。水色のTシャツは浴室へ向かうときと同じもののようである。確か食事の時は違うものを着ていたので、きっと入浴前に着替えてしまったのだろう。 さて、男連中に知らせに行かねば。オーナーいわく浴室は3人で入れる広さとか。皆で一緒に入って親交を深めるのもたまにはいいだろう、と一瞬だけ思ったが、ゴンの超肥満体を思い出し、瞬時に計画を却下する。ともかく、まずはゴンに知らせようと思い、自動販売機前のベンチの所に行ったが、ゴンは居なかった。いつのまにか自室に戻ったのだろう。それでは、先にトムに知らせようと考え、トムの部屋のドアをノックしたが、返答はない。私は何度か繰り返した。
「おい、トム。居るんだろう、トム」
無反応。声が聞こえたのか、いつしかゴンが私の背後に立っていた。
「あれ、ゴン。いつ自分の部屋に戻ったの」
「約10分前です。ところでチーフ、ドアを開けてみましょうよ」
「鍵が閉まっているんじゃないか」
「やってみないと判らないじゃないですか」
私はドアのノブを回した。案に相違して、ドアは開いた。そしてその中に見たものは……部屋に入って真正面の右側の壁際のベッド。そこに、トムこと外村喬が、夥しい量の血を流して仰向けに倒れていた。近づいて見なくても絶命を確信させるほどの流血量だった。そこにはテレビの音だけが空しく響いていた。
『それでは、CMの後は、今、女子高生の間で大人気の“D・カレンダー”さんによる独りボケ突っ込み漫談です。お楽しみに』

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