「皆さんにお集まりいただいたのは他でもありません。トムが何者かに殺されたという状況について、今後我々がとるべきほ」
「ちょっと待って。今、何ておっしゃいましたか。トムが殺されたとか」
いきなり発言を遮ったのはミカだった。私は不愉快な気持ちを抑えながら、
「いきなり割り込むことはないだろう。それとも君は、トムが自分の腹と胸の2箇所を刺して自殺したとでもいうのかい。そんなこと出来る人間はいないと思うよ」
と反論した。するとミカは興奮して、
「そうじゃなくて、ええと…すると、トムは何者かに刺されて死んだということなのね。何でそれを最初に言ってくれないんですか」
「へ?」
しまった。ミカはあの現場を見ていないのだ。てっきり、予めゴンが事情を伝えてくれたと思っていた。先程の電話の件にしても、気が利かない奴だ……いやいや、今回はこちらが悪い。ゴンには「皆を遊戯室へ呼び集めろ」としか言っていないのだから。
「済まなかった。実は正にその通りの事態なんだ。彼は自分の部屋でナイフのようなもので刺されて亡くなっていたのだ」
私は改めて皆のほうを向いて、
「更に悪いことに、電話、つまりオーナーの部屋の電話と、ラウンジの電話のコードが2箇所とも何者かに切断されました」
一同からざわめき。私は更に続けて、
「よって、すぐには警察に連絡できません。もう外は暗いので、これから町へ降りるのは危険かと思われます。そこで、我々は、これからちょっとした会議を行います。目的は…」
私は一息ついた。最も重要な部分だからだ。
「つまり、先程申した理由により、トムが他殺されたことはほぼ明らかです。おまけに、今ここに居ない外部の人間の仕業とは思えません。陸の孤島のようなこのペンションに、しかも外が真っ暗という状況で、見知らぬ物取りや強盗がやってくるとは到底考えられないからです。ですから、私は、今この部屋に居る5人の中に、トムを刺した者がいると思いますが、いかがでしょうか」
誰も何も言わない。ここまでは反論不可能なほど完璧なはず、と思いきや、またもやミカが口を出した。
「物取りや強盗はあり得ませんね。しかし、次のようなことは考えられませんか。トムに恨みを持つ何者かが、トムがペンションの自室で1人になる時を見計らって忍び込んだ。
私たちが今日旅行に来ていることは会社の人間も知っているはずですしね」
「それはあり得ない。我々がここに泊まることになった経緯を考えてみなよ。
予約したホテルが突然の崖崩れで半壊して急遽、だろ。我々の居場所を知る人間は他にはいないはずだよね。更に、この近辺は携帯電話が使えないから、ここにいる誰かが外部と連絡を取った可能性は極めて低い」
「確かにそうですね」
何だ、そんなことか、と私は内心ホッとしていた。というのも、数学科出身であるミカの論理的かつ合理的な思考には、私は常々感服すると共に、脅威すら感じていたからだ。
かつて彼女と交際をしていた短い期間に、時折数学の話をすることがあった。私自身、数学は学生時代の経済学の勉強に用いていて、分野は限定されるが、ある程度腕に覚えがあったのだ。ところが、やがて、私の知識や力量では、到底ミカの足元にも及ばないことを思い知らされる羽目になった。その点、今回のミカの疑問は到底論理的とは呼べず、私は密かな優越感を覚えていたのだ。もちろん、そんなことは表情にも出さずに、私は皆に宣言した。
「明日になって明るくなり次第、警察に知らせに行こうと思います。でも、それまで手をこまぬいているわけにはいきません。何しろ、この中に犯人が居る可能性が高いわけですから。そこで、まずは皆様にお伺いしたい」
私はここで呼吸を整えてから、
「外村喬君を刺した方は、名乗り出てもらえませんか」
と言い放った。沈黙。誰も名乗り出ない。そこで、
「やはりそうですよね。それでは、これから皆さんに、トムが襲われたと思われる8時2分頃から8時30分までの間の皆さんの行動をお伺いしたいのです。いわゆるアリバイ調べというやつです。どうかご協力ください」
「ちょっと待ってください」
「あのー、お言葉ですが」
ここで、ミカとゴンから同時に静止が掛かった。ゴンがミカに順番を譲った。
「犯行が8時2分頃から8時30分までの間に行われたと何故判るのですか」
そこで、私は、8時2分頃に部屋に入って間もなく、隣のトムの部屋からテレビの音が聞こえてきたことを告げた。ミカは納得せず、
「それだけでは断言できないんじゃないかしら。もっと早い時間帯に既に犯行が行われていて、8時2分になった瞬間、犯行時刻を誤認させるために犯人がテレビをつける、ということもあり得るのでは」
ここまでお読みいただいた皆さんには、このミカの説は成立し得ないことがお分かりであろう。私が部屋に居て、ゴンが自販機前のベンチに座っていて、ルイが浴室へ向かうために部屋を出て、そしてミカがオーナーのアトリエに招き入れられていたあの
時刻に、トムの部屋のテレビを操作できたのはトム本人しかいないはずである。しかし、私はそのことには触れず、
「私はそれはあり得ないと思う。それを確認するためのアリバイ調査でもあるわけだから、どうか協力を頼む」
と、穏やかに言った。続いて、ゴンが発言する。
「チーフ、やはり警察には早く知らせるべきだと思います。僕が今から車で町まで行ってきます」
「おい、車に辿り着くまで、あの森の中の獣道を歩かなければならないんだぞ。危ないよ」
「大丈夫ですよ。僕は高校時代山岳部にいましたから、あのような険しい道は結構得意なんです。ただ、懐中電灯をお借りしたいのです」
このときには、オーナーは幾分平静さを取り戻していて、
「わかりました。非常用の懐中電灯はあそこの壁に掛かっています」
そう言って、玄関ホールへ出るドアの脇の壁を指差した。
「ありがとうございます。では、行ってきます、チーフ」
「うん。気をつけて。おっと、その前に、ゴンが8時2分頃から8時30分までの間にどこで何をしていたか教えてもらえるかな」
「8時20分頃までは自販機前のベンチに座っていて、8時20分に自分の部屋に戻りました」
「その間に誰かと会ったりしたかな」
「証人ということですよね。チーフが部屋に戻った直後に、つまり8時2分ちょうどということかな、ルイさんが僕の前を通って階下へ向かいましたが、他にはいませんね」
「ありがとう。じゃあ、くれぐれも気をつけて」
私の右隣に座っていたゴンは席を立ち、私の背後を通り、壁の懐中電灯を手にとって動作確認をした後、部屋を出て行った。その際、ゴンの体臭、というか汗の臭いが私の鼻腔をツンと刺激した。彼は依然として袖の擦り切れた『大和魂』Tシャツを着ていた。
夕方の卓球で汗を大量にかいたときから、ずっと同じものを着ているようでは、汗臭くなっても当然だろう……と思ったら、実は私自身も同じシャツをずっと着ていることにふと気付いた。どうやら自分の体臭も混じっていたらしい。
それはさておき、アリバイ調査を続けねばなるまい。この後、私自身も含めた他の4人が証言した。実際には細かいやり取りを交えながら行われたのだが、詳述するのは煩雑なので、本人の発言の要点と、関連する質疑応答のうち重要なものだけを記しておく。
ルイ:「8時ちょっと過ぎに部屋を出て、階下の浴室へ向かいました。階段を下りるとき、確かにゴンさんがベンチで本を読んでいるのを見ました。その後、入浴を済ませ、階段を上がり、すぐにチーフの部屋に知らせにいきました。その間誰にも会っていません」
この証言に関する質疑応答はなかった。
ところが、次の証言者のミカは、最初から嘘をかましてくれた。
ミカ:「8時ちょっと過ぎにルイの部屋に行き、自分が風呂から上がったことを知らせ、その後自分の部屋へ戻りました」
ここで、私が、8時2分にオーナーのアトリエに入る所を見たことを明かすと、ミカは心底驚いた表情をし、次のように訂正した。
ミカ:「ごめんなさい。ルイを訪ねた後、すぐにオーナーのプライベート・ルームへ行きました。あ、目的は聞かないでくださいね。おそらく事件とは関係ないですから。15分余りお邪魔して、8時20分ちょうどにオーナーの部屋を出て、自室へ戻りました。その後はゴン君が呼びに来るまで『お笑い老若男女』をずっと観ていました」
この証言には補足が必要と考えた私は、いくつか質問を重ねた。以下はその質疑応答の要旨である。
「オーナーの部屋に行った理由は教えてくれないのか」
「私の一存で教えるか否かを決断できない事情があるのです」
「自分の部屋に戻るときは、2階のアトリエのドアを使ったのか、それとも1階のドアを使ったのか」
「1階から出ました。1階の廊下は、浴室から水音が聞こえている以外は静かで、誰も見かけませんでした。2回へ上がったとき、ゴン君はベンチの所には居ませんでした。ちょうど部屋に戻った直後だったんでしょうね」
「8時25分頃、生放送の『お笑い老若男女』でアクシデントがあったが、内容を説明できるか」
「もちろんできますよ。“レッツゴー伊勢海老”の海老原がステージから落ちたんですよね。怪我はなかったようですけど。伊勢山の慌てぶりが可笑しかったですよね」
これは、私が見た番組内容と一致していた。
オーナー:「8時2分から8時20分までの行動はミカさんの証言どおりです。普段2階の入り口は滅多に使わないのですが、その時はたまたまアトリエの整理をしていたので、ノックの直後にドアを開けて招き入れた、というわけです。事情についてはちょっと勘弁してください。事件には関係ないはずです。8時20分にミカさんが帰った後は、町の中心部に住んでいる知人の食料品店主に電話をかけました。おそらく8時27分位まで話をしていたと思います」
先程激しく慟哭したオーナーは、もはや抜け殻のような表情になっており、これだけの内容を話すのに20分以上も費やしたのだ。私は1つだけ質問を重ねた。
「それが本当だとすると、オーナーにはずっとアリバイがあることになりますが、8時20分以降のアリバイを証明する手段はありませんかね。電話が不通の状態では、その食料品店主に電話をかけて確認することはできませんが」
「本川さん、私から1つ伺いたいのですが、先程電話のコードが切断されていたとおっしゃいましたが、それは電話機の電源のコードですか。それとも電話線のケーブルの方ですか」
「無論電話線の方です」
「それでしたら、電話機本体に通信履歴が残っているはずですから確認できますよ。今見に行きますか」
「いえ、その話だと嘘は無さそうですね。念のため、宜しければ後ほど確認させてください」
この後、私自身も証言したが、その内容は§8に書いたこととほぼ同様である。もちろん、細かい心理描写は省いて話をしたのだが。
これらの証言は有益だった。特にミカとオーナーの証言は、私にとって注目に値するものだった。
このとき、既に私は1つの結論を得ていたのだ。あとは幾つかの細かい点を詰めて、確信を得るのみだった。
時刻は午後10時少し前、ゴンが戻ってきた。町の中心部の警察まで行ったとすれば、帰りが早すぎる。ゴンの第一声は、
「チーフ、犯人は判りましたか」
「今、各自のアリバイ証言が終わったところなので、まだ犯人を明らかにはしていない。それより、帰るのが早すぎやしないか」
「ええ。それがですね、いつの間にか何者かに車のタイヤの空気を抜かれてしまったようなんですよ」